人傑[語句情報] »
人傑
「人傑〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
人傑の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
。そこが筆者の眼に古今無双の奇人兼、快人と見えたのだから仕方がない。世間の所謂快
人傑士が、その足下にも寄り付けない奇行快動ぶりに、測り知られぬ平々凡々な先生の、....
「連句雑俎」より 著者:寺田寅彦
作にすぐれたメンバーがそろっただけでは不十分であって、どうしても芭蕉ほどの統率的
人傑を要する理由もわかってくるであろう。 こういう点からまた私のここで仮想して....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
り、変化運用の妙天地をつゝんでしかも天地ののりをはなれず、これをしるものは偉大の
人傑となり、これをうしなふものは名もなき狂者となる」 誰の目にも明らかなこの常....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
すること秀吉の如く、家康の如く、尊氏《たかうじ》の如くありはしない。各藩の各種の
人傑、おのおの一人一役を以て王政維新という事業に参加しているまでで、維新が中心と....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
では「どん」称語を用いないことになっている。西郷どんだの、東郷どんだのと、相当の
人傑に対して、断じて「どん」称を用いることは江戸にはない。ところが、お角さんは土....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
用心をするくらいに過ぎませんでした。この火薬の製造所を計画した小栗上野介は一流の
人傑で、幕府においての主戦論者の第一人でありました。勘定奉行にして陸海軍奉行を兼....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
だんじょう》」を以てあえて争わなかったところは、沈勇にして謀《はかりごと》を好む
人傑の面影を見ることもできます。武田信玄の股肱《ここう》として、一二を争う智将で....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
へんちゅつ》せらるること七十余回ということを真なりとせば、得易《えやす》からざる
人傑であります。 小栗上野介が、単に人物として日本の歴史上に、どれだけの大きさ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ました。まず、大久保から岩倉への品川の紹介があったことでしょう。それから、長州の
人傑の近況が一くさり噂《うわさ》に上ったことでしょう。やがて順序を得て、今日の来....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
とだけに云い切れないから、此歌はやはり優れた歌で、亡友島木赤彦も力説した如く、赤
人傑作の一つであろう。「幾許」という副詞も注意すべきもので、集中、「神柄か幾許尊....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
気魂、煥発《かんぱつ》の才、雲のごとくただようものをみたのである。
これは、一
人傑。
ととっさに見きわめて、畳のうえに呼び入れて差し向かい、一問一答のあいだ....
「銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
いって足を返した。 「享保年間の名奉行、大岡越前守と来たひには、とても素晴らしい
人傑だったが、子孫にはろくな物は出ないようだ。今の時代に大岡様がいたら、もっと市....
「血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
されるだろう。……それが俺には残念なのだ、同じくその身を失うにしても、太閤ほどの
人傑を、向こうへ廻して戦って、華々しくご最後を遂げさせたいのだ。……で、道は二つ....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
ず》から一例を作りたるものというべし。 然《しか》りといえども勝氏も亦《また》
人傑《じんけつ》なり、当時幕府内部の物論《ぶつろん》を排《はい》して旗下《きか》....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
、ことごとく我ら「日本民族」共同の祖神として尊崇すべく、我が国史上に現われたる偉
人傑士は、ことごとく我ら「日本民族」共同の尊親属として、相ともにその誇りとなすべ....