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人望
「人望〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
人望の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「入れ札」より 著者:菊池寛
いる。だが、俺、去年、大前田との出入りの時、喧嘩場からひっかつがれてから、ひどく
人望をなくしてしまったんだ。それが俺にはよく分かるんだ。上辺は兄い兄いと立ててい....
「三の字旅行会」より 著者:大阪圭吉
薦がなければならないのであった。なんでもその支部長というのも、その地方ではかなり
人望のある慈善家だそうであるが、その支部長の推薦を受けた、資格のある志望者は、例....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
りがやっていた唱歌までも先生が受持ったのだ。それだけですらすでに先生の上に、ある
人望と好奇心とが加わった。そしてその最初の時間は実に奇観なものだった。 兵隊の....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
していた。彼が直筆の手本というものが今も村に残っている。磯部に於ける彼は決して不
人望ではなかった。弟子たちにも親切に教えた、いろいろの慈善をも施した、碓氷川の堤....
「運命」より 著者:幸田露伴
の事を記す、筆墨も亦倦みたり。燕王事を挙げてより四年、遂に其志を得たり。天意か、
人望か、数か、勢か、将又理の応に然るべきものあるか。鄒公瑾等十八人、殿前に於て李....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
を見せられたばかりでは無い。斯様いうように民衆も中々手強くなっているのだから、不
人望の資産家などの危険は勿論の事想察に余りある。其代り又|手苛《てひど》い領主や....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
れた。 ひとしきり弓之進の死について家中ではいろいろ取り沙汰したが、生前非常な
人望家でみんなの者から敬われていたので、非難の声は聞かれなかった。そうしてついに....
「墓」より 著者:秋田滋
士で、まだ年も若く、名をクールバタイユと云って、金もたんまり持っていて、なかなか
人望もある男だった。 彼は法廷に立って法の裁きを受けることになった。検事は、か....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
まった。 私は教育者に対する反感というものを初めて知った。どことはなしに生じる
人望というものの、子供にも大人にも通じて、無形の間にエーテルのように充ちているこ....
「沙漠の古都」より 著者:国枝史郎
果然|王※を滅ぼした劉秀がこの世へ現われたかのように、先生の態度は勇ましく先生の
人望は目覚ましかった。 その頃私は名を変じ身分を変え、軽奴となって袁総統宮殿の....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
重かったときにも、貧民が多勢で教会に行って全快の御祈りをするというような、非常な
人望であった。十一年振りで英国に帰ったが、その時もアイルランドに行って、貧民の生....
「入れ札」より 著者:菊池寛
ぜ」 忠次の言葉が終るか終らないかに、 「そいつぁ思い付きだ」乾児のうちで一番
人望のある喜蔵が賛成した。 「そいつぁ趣向だ」大間々の浅太郎も直ぐ賛成した。 ....
「磯部の若葉」より 著者:岡本綺堂
していた。彼が直筆の手本というものは今も村に残っている。磯部に於ける彼は決して不
人望ではなかった。弟子たちにも親切に教えた、色々の慈善をも施した。碓氷川の堤防も....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
のである。しかしながら平安朝において夷俘の長と指定されたものは、その国の夷俘中の
人望あるものであった。『日本後紀』弘仁三年六月二日条に、その同類のうち心性事を了....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
べきものは、貴族のなかの一流人物であり、権勢と名誉と富においても、また軍人仲間の
人望においても、同様に強力な人物でなければならぬ。そう主張するときの伯爵は、あた....