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「人物画〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

人物画の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
蠅男」より 著者:海野十三
ことなく官能的な部屋飾りだ。高い壁の上には誰とも知れぬがプロシア人らしい学者風の人物画が三枚ほど懸っている。横の方の壁には、これも独逸文字でギッシリと説明のつけ....
画学校時代」より 著者:上村松園
――それから山水、樹木、岩石という風にこみ入ったところを描き、最後に一級になると人物画になるといった階段を踏んで卒業する訳です。 ところが、私は子供のじぶんか....
浮世絵の曲線」より 著者:寺田寅彦
おける黒色の斑点として最も重要なものは人物の頭の毛髪である。これがほとんど浮世絵人物画の焦点あるいは基調をなすものである。試みにこれらの絵の頭髪を薄色にしてしま....
十二支考」より 著者:南方熊楠
一生に二度|拐帯《かいたい》され、四人の妻となった。トロヤ大合戦もここに起った。人物画の大名人ゼウクシス、クロトンのヘーラ女神廟に掲ぐべきヘレナの肖像画を頼まれ....
一坪館」より 著者:海野十三
壁が、すっかり絹地へかいた日本画でうずまっている。草花の画がある、かわいい子供の人物画がある、花のさいた田舎の風景画がある。 「ああ、これはたのしいね。画なんて....
時計屋敷の秘密」より 著者:海野十三
たが、その中の油絵はまん中が切りとられていて、なかったこと、そしてそれはどうやら人物画らしいことなど、すでに諸君の知っているところである。 「おどろいたね。どこ....
楢重雑筆」より 著者:小出楢重
れが病みつきで私はどうもガラス絵が気にかかり出しました、そのうち色々の風景画や、人物画なども集めて見たりしましたが、何んといっても職人の仕事でありますから、本当....
丹下左膳」より 著者:林不忘
えたてたのだった。 この享保《きょうほう》の初年に。 筆をもって紅く彩色した人物画を売りはじめ、これをべに絵といって世に行われ、また江戸絵と呼ばれるほどに江....
あのころ」より 著者:上村松園
その印は今でも大事に遺してあります。 絵草紙屋 私は絵の中でも人物画が好きで、小さいころから人物ばかり描いていました。 それで同じ町内に吉野....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
古画の模写等をしました。私は幼い時から、母から江戸絵の美人画を与えられたせいか、人物画が好きでした。けれど画学校では人物画は一番難しいものとして、最後に教えるこ....
炎の人――ゴッホ小伝――」より 著者:三好十郎
十五だ。とにかく、四十歳になるまでに俺は、そのモネエの「向日葵」に匹敵するような人物画を一枚でも描くことが出来たら、俺は芸術の上で誰か――それは誰でもかまわない....
我が円朝研究」より 著者:正岡容
を残して能《よ》くその終りを全うせしが、その同門なる芳幾は依然として浮世絵在来の人物画を描きしの故か名声ようやく地に墜ち遂に錦絵を廃して陋巷に窮死せり(明治三十....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
由来浮世絵と西洋画とは共に写生を主とする点において相似たる所あり。西洋画の山水は人物画の背景より漸次分離独立せしものにしてその始《はじめ》は和蘭陀《オランダ》十....
今日になるまで」より 著者:上村松園
九の頃漢学も習い始めました。その時分の京都では狩野派や四条派の花鳥山水が全盛で、人物画の参考が全然ありませんでした。そこで参考品を探すのに非常に苦心をしました。....
想い出」より 著者:上村松園
ました。松園という号も、その時先生からつけて戴いたものです。 私はその時分から人物画が好きで、その為、一枝ものや、山水、花鳥画はともすると怠り勝ちで、「あんた....