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仁助
「仁助〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
仁助の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「手品」より 著者:佐左木俊郎
いるのは、万の長男だった。次男も三男も混じっていた。 「なあんだ兵吉じゃねえか。
仁助《にすけ》も三吉もか。馬鹿野郎ども。我家さチャセゴに来る奴、あっか。馬鹿|奴....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
う字に見覚えがあると、半七は思った。 「ここの家《うち》は誰だ」 「夜蕎麦売りの
仁助で、その隣りが明樽《あきだる》買いの久八です」と、庄太は答えた。 「隣りにも....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
来たから往ってもらわなければならん、昼間お客来で又た遺失物でもあるといかんから、
仁助私が一人で見廻ろう、雪がちらちらと来たようだから」 仁「成程降って来ましたね....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
。『古今図書集成』辺裔典二十五巻に、明の守徐兢高麗に使した途上、定海県総持院で顕
仁助順淵聖広徳王てふ法成寺《ほうじょうじ》関白流の名の竜王を七昼夜祭ると、神物出....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
又旅のお角などは先ず普通であるが、その子が胡麻の灰で道連れ小平、その同類が継立の
仁助などは、いずれも好く出来ている。落語でも芝居でも、人名などは一種の符牒に過ぎ....
「まかないの棒」より 著者:黒島伝治
ために、父母は毎朝暗いうちから山の樹を伐りに出かけていた。 醸造場では、従兄の
仁助が杜氏だった。小さい弟の子守りをしながら留守居をしていた祖母は、恥しがる京一....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
チへ住み込みでも結構でさア。どうも、東京を食いつめちゃったよ」 足利の織物商人
仁助の肩をもみながら、アンマの弁内が卑しそうな声で云う。 めッぽう力の強いアン....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
ねえから止しねえよ」 と親子で争っている所へ、ガラッと戸を明けて来たのは繼立の
仁助という胡麻の灰。 仁「お母ア何しろ此処にいる事は出来ねえ、あの子を勾引した事....
「番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
は自分の名をいった。この時代の町奴の習いとして、その他の者共も並木の長吉、橋場の
仁助、聖天の万蔵、田町の弥作と誇り顔に一々名乗った。もうこうなっては敵も味方も無....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
七歳。 おなじく二十六日には、千住三丁目の揚屋《あげや》、大桝屋《おおますや》
仁助のひとり娘でお文、十八歳。もっとも、これは根岸の寮に来ていて、そこから抜けだ....
「日記」より 著者:宮本百合子
出した。「ころぶもんもありゃあ、這くるものもあり、いやはや散々じゃったが、せどの
仁助どんばっかりゃあ、胆のすわった子供だったと見えて、ちゃんと、によを拾って逃げ....
「三国志」より 著者:吉川英治
うか」 関羽は、あらためて廖化の前にすすみ、 「二夫人のご無事はまったく貴公の
仁助である」と深く謝した。 廖化は、謙遜して、 「当り前なことをしたのに、あま....