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「仁和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

仁和の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
僧都《そうず》は申すまでもなく、その日御見えになっていらしった山の座主《ざす》や仁和寺《にんなじ》の僧正《そうじょう》も、現人神《あらひとがみ》のような摩利信乃....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
るのである。この故に政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。たとえば昔|仁和寺《にんなじ》の法師の鼎《かなえ》をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇....
俊寛」より 著者:芥川竜之介
》第七の王子、二品中務親王《にほんなかつかさしんのう》、六代の後胤《こういん》、仁和寺《にんなじ》の法印寛雅《ほういんかんが》が子、京極《きょうごく》の源大納言....
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
ありゃあまだ子供だとひとからも見なされていた。十六の秋、母のお時といっしょに廓の仁和賀《にわか》を見物に行ったとき、海嘯《つなみ》のように寄せて来る人波の渦に巻....
吉原新話」より 著者:泉鏡花
へ、人数が十人の上であるから、縁の障子は通し四枚とも宵の内から明放したが、夜桜、仁和加の時とは違う、分けて近頃のさびれ方。仲の町でもこの大一座は目に立つ処へ、浅....
鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
えたのは、有名な話である。 翌四日にも、幕軍は敗勢を返さんとして戦ったが、此日仁和寺宮|嘉彰親王が、金甲馬に跨り、前駆に錦旗を飜して、陣頭に進まれたので、絶え....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
に金を貸し付け、百姓どもから利息を取り立てる行為なぞはまッ先に鎗玉にあげられた。仁和寺、大覚寺をはじめ、諸|門跡、比丘尼御所、院家、院室等の名称は廃され、諸家の....
狂乱」より 著者:近松秋江
立っている楓葉が美しい秋の日を浴びて真紅に燃えているのなどが目についた。それから仁和寺の前を通って、古い若狭街道に沿うてさきざきに断続する村里を通り過ぎて次第に....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
いた。元慶四年十月の地震は、京都と出雲が震い、同年十二月には、京都付近が震うた。仁和三年七月の地震は山城、摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震で、海に近い所は海....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
の羽織を着た奥さんも行くようになった。そのほかに、明治三十年以後には源氏節、大阪仁和賀、改良剣舞のたぐいまでが東京の寄席にあらわれて、在来の色物はだんだんに圧迫....
徒然草の鑑賞」より 著者:寺田寅彦
との予報がその『徒然草』にちゃんと明記してあるのである。 鼎をかぶって失敗した仁和寺の法師の物語は傑作であるが、現今でも頭に合わぬイズムの鼎をかぶって踊って、....
雪の宿り」より 著者:神西清
りながら京の様子を窺いますと、わたくしのまだ居残っておりました九月の初には嵯峨の仁和、天竜の両|巨刹も兵火に滅びましたし、船岡山では大合戦があったと申します。十....
血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
望が心に涌いたからである。 ここは京都の郊外の、上嵯峨へ通う野路である。御室の仁和寺は北に見え、妙心寺は東に見えている。野路を西へ辿ったならば、太秦の村へ行け....
大力物語」より 著者:菊池寛
り、宇多天皇の皇子の式部卿の宮の御子である。この人は、広沢に住んでいたが、同時に仁和寺の別当をも兼ねていた。別当というのは、検非違使の長官をも云うのだが、神社仏....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
るから、皇太后宮大夫であった役名を冠したわけである。治承二年俊成六十五歳のとき、仁和寺宮|守覚法親王の仰せによって自撰したもので今普通に流布している六家集本とい....