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「仁川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

仁川の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:島崎藤村
た風土に化せられて来たというは。彼は支那ばかりでなく、最初は朝鮮、満洲へ渡って、仁川《じんせん》へも行き、京城《けいじょう》へも行き、木浦《もっぽ》、威海衛《い....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
清国がまず出兵する、日本でも出兵して、二十七年六月十二日には第五師団の混成旅団が仁川に上陸する。こうなると、鶏林(朝鮮の異称)の風雲おだやかならずと云うので、東....
田舎教師」より 著者:田山花袋
行く海老茶袴の姿が見えた。 四十四 日露開戦、八日の旅順と九日の仁川とは急雷のように人々の耳を驚かした。紀元節の日には校門には日章旗が立てられ、....
浮かぶ飛行島」より 著者:海野十三
談おっしゃる。冬でも凍らない港なら、東洋にいくらでもあるではありませんか。大連、仁川、函館、横浜、神戸など、悪くありませんよ。なにもかも、貴国の決心一つです」 ....
妾の半生涯」より 著者:福田英子
小林と分袂《ぶんべい》し、新井と共に渡航の途《と》に就き、崎陽《きよう》に至り、仁川行《じんせんこう》の出帆《しゅっぱん》を待ち合わせ居たり。しかる所滞留中、磯....
五十年をかえりみて」より 著者:宮城道雄
私を子供の時から母代わりになって育ててくれたおばあさんが亡くなってから、私は仁川をはなれて京城のある箏のお弟子先で、箏を教えながら居候のようなことをしていた....
山の声」より 著者:宮城道雄
いていたが、しかし、それだけではどうも私には物足りなかった。 その頃、私たちは仁川に住んでいたのである。丁度、私の家は小学校の下にあったので、私は学校の生徒が....
私の若い頃」より 著者:宮城道雄
ことになったが、途中玄界灘で海が荒れて、船の中でおばあさんと心細いおもいをした。仁川へ行って見ると、父の身体がまだはっきりしないので、結局私の細腕で箏の師匠をし....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
買い、龍田川丸に乗込んだ。めざすは満州だが、あり金をはたいてやっと手に入れたのは仁川までの切符。あとは無一文だが、どうにかなるという気持だった。焦げるように暑い....