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仁治
「仁治〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
仁治の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
尉義盛が叛逆を起したころにも、こんな大地震があったと噂しあったということである。
仁治元年四月の地震には海嘯があって、由比ヶ浜の八幡宮の拝殿が流れた。建長二年七月....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
族結婚していたのである。 コマ家の系図は次のようなことを語っている。 「豊純。
仁治三年三月四日歿。 当家はこれまでコマから従えてきた一族重臣のみと縁組してき....
「法然行伝」より 著者:中里介山
たけれども、なかなか丈夫で死ねないで空しく年月を送る心持に堪えられなかったから、
仁治三年十月二十八日から浄勝房以下の僧達を集めて、三七日《みなぬか》の如法念仏を....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
年従二位に昇ってから、六十六で正二位、七十一歳で権中納言に就き、七十二歳で出家、
仁治二年八月、八十歳を以て薨去した。 しかし御子左の家の幸運は、もっと著しく嫡....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
のは東大寺に属しておったから、ここにも南都北嶺争覇の影響が及んでいたものらしく、
仁治、寛元年間に縄張争い等の事から軋轢を始めて、奈良坂の非人が清水坂の非人の或る....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
い説である。しかし般若寺坂を奈良坂と言い出したのもおそらく鎌倉時代以来のことで、
仁治・寛元の頃に東大寺領奈良坂の非人と、京都清水坂の非人とが闘争に及んだことがあ....