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「今川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

今川の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
店の軒には、俳優の紋どころを墨や丹や藍で書いた庵看板がかけてある。居付きの店で、今川焼を売るものも、稲荷鮓を売るものも、そこの看板や障子や暖簾には、なにかの形式....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
の部将中、酒井石川は譜代だが、小笠原与八郎長忠だけは、そうでない。小笠原は、元、今川家の大将で武功の勇将である。家康に従ってはいるが、もし家康が信長へ加勢として....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
三河守も是非なく、陶から二日遅れて、厳島へ渡った。信長は桶狭間という狭隘の土地で今川義元を短兵急に襲って、首級をあげたが、併しそのやり方はいくらか、やまかんで僥....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
之を賞さなかったと云う。その頃から、父子の間不和で、後天文十年父信虎を、姉婿なる今川義元の駿河に退隠せしめて、甲斐一国の領主となる。時に年二十一歳。 若い時は....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
信長の崛起 天文十八年三月のこと、相遠参三ヶ国の大名であった今川氏を始めとし四方の豪族に対抗して、尾張の国に織田氏あることを知らしめた信秀が....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
最たるものは、作手城主奥平貞昌父子だった。 奥平家は、その地方の豪族だが、初め今川に属し、後徳川に附き、更に信玄に服し、今度勝頼に背いて、徳川に帰順したわけで....
春昼」より 著者:泉鏡花
ンと足をあげると、ゆるくキリキリと鳴ったのである。 唯それだけを見て過ぎた。女今川の口絵でなければ、近頃は余り見掛けない。可懐しい姿、些と立佇ってという気もし....
露肆」より 著者:泉鏡花
蒻、蒲鉾、八ツ頭、おでん屋の鍋の中、混雑と込合って、食物店は、お馴染のぶっ切飴、今川焼、江戸前取り立ての魚焼、と名告を上げると、目の下八寸の鯛焼と銘を打つ。真似....
アド・バルーン」より 著者:織田作之助
はふたたび夜の蛾のようにこの世界にあこがれてしまったのです。 おもちゃ屋の隣に今川焼があり、今川焼の隣は手品の種明し、行灯の中がぐるぐる廻るのは走馬灯で、虫売....
妖婦」より 著者:織田作之助
半年も前から毎日お針に行ってるから随分手が上ったと言うと、さすがに父親も狼狽して今川橋の師匠の許へ通わせることにした。 安子は二十日振りに外の空気を吸ってほっ....
註文帳」より 著者:泉鏡花
誼、一刻も猶予ならぬ立退けでござりましょう。その儀ならば後とは申しませぬ、たった今川ン中へ引越しますと謂うたらば。 差配さん苦笑をして、狸爺め、濁酒に喰い酔っ....
島原の夢」より 著者:岡本綺堂
店の軒には、俳優の紋どころを墨や丹や藍で書いた庵看板がかけてある。居附きの店で、今川焼を売るものも、稲荷鮓を売るものも、そこの看板や障子や暖簾には、なにかの形式....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
ヤノやヴァイオリンが初めて横浜へ入荷した時、新らし物好きの椿岳は早速買込んで神田今川橋の或る貸席で西洋音楽機械展覧会を開いた。今聞くと極めて珍妙な名称であるが、....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
心 十五 宗良親王、『新葉集』 十六 室町時代に歌は芸術であることをやめ始める、今川了俊、正徹、尭孝、飛鳥井雅世、正徹の論理と尭孝の理論、正徹と尭孝との定家の立....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
んで一寸|悪戯をやって見たりすることも出来るといったようなわけだ。僕は時とすると今川焼屋が暑いのに汗を垂らしながら今川焼を焼いているのを、じっと感心しながら見て....