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今川義元
「今川義元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
今川義元の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
三河守も是非なく、陶から二日遅れて、厳島へ渡った。信長は桶狭間という狭隘の土地で
今川義元を短兵急に襲って、首級をあげたが、併しそのやり方はいくらか、やまかんで僥....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
之を賞さなかったと云う。その頃から、父子の間不和で、後天文十年父信虎を、姉婿なる
今川義元の駿河に退隠せしめて、甲斐一国の領主となる。時に年二十一歳。 若い時は....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
漸く勢を四方に張ろうとして来た信長と、駿遠参三ヶ国を擁して、西上の機を窺って居た
今川義元とが、衝突するに至るのは、それこそ歴史上の必然であったわけだ。 ....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
八郎昌猛であった。 「殿、ご心配には及びませぬ。今川をお頼みなさいまし」 当時
今川義元と云えば駿遠参の大管領で匹儔のない武将であったが、信虎の一女を貰っていた....
「名娼満月」より 著者:夢野久作
に云う無間山こと倶利ヶ|岳の中腹に、無間山、井遷寺という梵刹がある。この寺は昔、
今川義元公が戦死者の菩提のために、わざと風景のよい山の中腹に建てられたもので、寺....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
え、そう無惨《むざん》な敗れを取るようなこともなかったろうと思う」 「どうして、
今川義元や斎藤|道三《どうさん》、或いは浅井朝倉あたりとは相手が違う、謙信があの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
で、もはや眼中に清洲の城址も無く、あたり近所の児童走卒も無く、古英雄信長もなく、
今川義元もなく、ただ人生五十年の夢幻と、他生化転の宇宙実在とがあるばかり。自己感....
「決戦川中島 上杉謙信の巻」より 著者:坂口安吾
術策をもって業となし、他国に内訌を謀り自家の勢力伸長のみを念としている。 昨年
今川義元が織田信長に討たれて後は、天下平定、覇者の悪夢につかれ、益々悪逆な術策に....
「織田信長」より 著者:坂口安吾
まア、なんとなく、勝っていた。家来たちには、そうとしか思われなかった。 信長は
今川義元を破って、バカ大将、一躍して天下疑問の名将に出世したが、家来たちには、偶....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
すでにその権義あればまたしたがってその職分なかるべからず。 昔戦国の時、駿河の
今川義元《いまがわよしもと》、数万の兵を率いて織田信長《おだのぶなが》を攻めんと....
「茶漬三略」より 著者:吉川英治
百姓生れなので、最も詳しい。 また。 駿河の今川家は、財政は豊かだが、大将の
今川義元始め、士がみな、京の公卿風をまねして遊惰だとか。三河の松平家は、今では駿....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
は父信秀の代からのもので政略や付け焼刃ではないようだ。彼の過去にてらしてみても、
今川義元をうち、美濃の斎藤を略し、浅井朝倉また彼の敵でなく、はや今日ほどな勢威を....