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仏の顔も三度
「仏の顔も三度〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
仏の顔も三度の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
川古流のために、忍んでおいてつかわすゆえ、以後きっとかようなまねいたされるなよ!
仏の顔も三度というくらいなものじゃ。二度とふらち働くと、右門のまなこがピカリと光....
「雪之丞変化」より 著者:三上於菟吉
郎は思い深げに、話しつづけた。
「渡る世間に鬼はなし――なぞというが、といって、
仏の顔も三度というからね。世間だって、そうそういつまでも、おれ達をかまってくれる....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
れる。それを持ってまた同じ旅亭に宿り、前のごとく掏り替えられ、叔父に泣き付くと、
仏の顔も三度と呟《つぶや》きながら、今度は打てと命ずれば他《ひと》を打ち続け、止....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
のだから、狂女の妄念というのほかはないものの、それにしてもこうしつこく立たれては
仏の顔も三度まで、第一客足にも障ろうというもの――海老床の腰高障子《こしだか》へ....
「猿の図」より 著者:三好十郎
いします! 大野 そんな事は、君、問題じゃないんだ! 私の立場としてだな、この、
仏の顔も三度と言う―― 薄田 よし、きまった! きまった、きまった!ハハハ、よし....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
師なるが故に、人の門に立って念仏を申し、供養を受けて生活した筈であるが、いわゆる
仏の顔も三度という如く、ただそれだけでは聞き手の方が飽きて来るので、ついにはその....