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仏供
「仏供〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
仏供の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
の事でございますから、頼まれて、累が淵へ莚《むしろ》を敷いて鉦《かね》を叩いて念
仏供養を致した、其の功力《くりき》に依《よ》って累が成仏|得脱《とくだつ》したと....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
これに引続いた話であるが、前記河原田平助氏の櫛田神社に於ける還暦祝賀能に「大
仏供養」が出た。シテの景清が梅津利彦氏で、ワキの畠山重忠が前記梅津昌吉氏であった....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
の夫人崇源院の霊廟は、台徳院の北隣に建っている。崇源院は正保四年三月十七日に、入
仏供養が行なわれているが、その規模は台徳院に比べて少し小さいにしても、壮麗華美な....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
かに新作だとことわってあり、後の一つも華厳経の句を讃歌に使ったところから推して大
仏供養のための特殊なものであったことが察せられる。作者は唐舞師、笛師などとあるか....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
いたといってもよい。 尊氏、直義の行列は、すべて、建久元年に行われた源頼朝の大
仏供養を模している。 先駆の一番には、山名時氏がはなやかに鎧った五百余騎で行き....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
。節供の供という字は供するもの、すなわち食物ということでもあった。今では神供とか
仏供とか、上に奉るもののみに限るようになったが、もとの心持はこの漢字の構造が示す....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
いる類のものも、すでに平安朝の中頃にはあったらしい。『枕草子』に、乞食の女法師が
仏供の撤下物を貰いに来た話がみえている。「男やある」、「何処にか住む」、「歌は歌....
「濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
として、左に抄録しておく。 二日ばかりありて縁の下にあやしき者の声にて、「猶其の
仏供の撤下物侍りなん」と云へば、「如何で速には」と答ふるを、何の言ふにかあらんと....