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「仏訳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

仏訳の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
新生」より 著者:島崎藤村
の公園の近くにある文房具屋で見つけて来たものであった。アーサア・シモンズの序文の仏訳までも添えてあった。その画集の中にある「ダンテの夢」と題したのは、版としても....
デカルトと引用精神」より 著者:戸坂潤
ン』論だけだ。尤も『メディタチオネス』や『プリンキピア』(いずれもラテン原文)の仏訳語については、デカルト自身責任を取っているが、処が併し『ディスクール』をフラ....
読書法」より 著者:戸坂潤
ン』論だけだ。尤も『メディタチオネス』や『プリンキピア』(いずれもラテン原文)の仏訳語については、デカルト自身責任を取っているが。処が併し『ディスクール』をフラ....
先生への通信」より 著者:寺田寅彦
飯をよばれてから後にその広い所有地を見て歩きました。この人の細君が私どもの論文を仏訳してここの学術雑誌に載せてくれたのだそうです。ここはもうフランスの国境近くで....
十二支考」より 著者:南方熊楠
さて西暦八五一年(唐宣宗大中五年)アラビヤ人筆、『印度および支那航記』(レノー仏訳、一二〇頁)支那の習俗大いにアラビヤと異なるを録していわく、支那人同姓と婚せ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
、九世紀に支那に渡ったペルシャ人アブ・ザイド・アル・ハッサンの『紀行』(レイノー仏訳、一八四五年板一五〇頁)にも、狐が介の開けるを見、その肉を食わんと喙《くちば....
十二支考」より 著者:南方熊楠
に大きく象皮一枚を張り、大なる棒を高く荒縄で釣《つ》るしてこれを打つと。レーノー仏訳、九世紀のアラビア人、ソリマンの『支那記』四一頁にいわく、支那には市ごとに知....
獄中消息」より 著者:大杉栄
しこれがなかったら、ハイネの作を全部。それから『吝嗇爺』の叢書の中にドイツ文学の仏訳のものがある。その中のゲーテとシルレルとの二人の作を全部取寄せるように、青年....
経済学及び課税の諸原理」より 著者:吉田秀夫
はないが、常に理解されていなければならぬ。五七頁を参照。 セイ氏は、本書の仏訳に対する彼れの註において、いかなる時においても地代を支払わない耕地は存在しな....
演出者として」より 著者:岸田国士
ーの数々を親しくこの眼で見、この耳で聴くことができた。 私は予めそれらの戯曲の仏訳を読んで行つた。読んだ印象よりもずつと面白く、快い感動にひたることができ、な....
人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
s, etc., c. ii. p. 7. ――ガルニエ氏は、そのアダム・スミス仏訳版の註において、フランス人口のわずかに六十分の一が戦死したに過ぎぬと計算して....
ベートーヴェンの生涯」より 著者:片山敏彦
これらの原注の中にいわば音楽の主題のように散在している。 ○原著者がドイツ文から仏訳して引用した文章は、原書のドイツ語訳の中に用いられているドイツ語原文を参酌し....
ベートーヴェンの生涯」より 著者:片山敏彦
―『ベートーヴェンに関する伝記的覚え書』特にベートーヴェンの前半生について重要。仏訳は一八六二年に出て現在は絶版。 Ludwig Nohl.――Eine sti....
読書と著書」より 著者:矢内原忠雄
原語で読むだけの力がない。お恥かしい次第であるが、ラテン語本文は参考にして、英訳仏訳等で読んで居る。この大著の日本語訳が未だ一種も出て居ないことは、日本の文化の....