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仙道
「仙道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
仙道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
れて、外からは迂濶に手がつけられなくなる。それに気がつくと、半七も少し慌てた。中
仙道をここまで追い込んで来て、ひと足のところで黒門へ駈け込まれてしまっては何にも....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
で国にいたのか」 「いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中
仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ来ました」 「なんで....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
宗兵衛は前の晩に田町の家《うち》を出て、東海道を行っては足が付くと思ったので、中
仙道を行くことにして、その晩は板橋の女郎屋に泊まったんです。明くる朝、そこからす....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
吉と川下村の松之助です」 金蔵の名がないので、半七は失望した。 「この二人は中
仙道を落ちるつもりで板橋まで踏み出したが、路用がねえ。そこらを四、五日うろ付いた....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
立った。彼は仏の像を入れた重い笈を背負って、錫杖をついて、信州の雪を踏みわけて中
仙道へ出た。それから諸国をめぐりあるいて江戸へはいって来たのは、ことしの花ももう....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
った。あやつり芝居が夏休みのあいだに、二人が一座を組んで信州路へ旅興行に出て、中
仙道の諏訪から松本の城下へまわって、その土地の或る芝居小屋の初日をあけたのは、盂....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
、案内者はまた話し出しました。維新前の妙義町は更に繁昌したものだそうで、普通の中
仙道は松井田から坂本、軽井沢、沓掛の宿々を経て追分にかかるのが順路ですが、そのあ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
をなしていたのであった。太田を出た御用の松茸は、上州から武州の熊谷にかかって、中
仙道を江戸の板橋に送り込まれるのが普通の路順で、途中の村々の若い百姓たちはみなそ....
「古狢」より 著者:泉鏡花
朧夜にニコリと笑って申されたを、通りがかった当藩三百石、究竟の勇士が、そのまま中
仙道北陸道を負い通いて帰国した、と言伝えて、その負さりたもうた腹部の中窪みな、御....
「黒百合」より 著者:泉鏡花
のを、守膳が老功で宥め賺し、道中土を蹈まさず、動殿のお湯殿子調姫という扱いで、中
仙道は近道だが、船でも陸でも親不知を越さねばならぬからと、大事を取って、大廻に東....
「雪霊続記」より 著者:泉鏡花
一 機会がおのずから来ました。 今度の旅は、一体はじめは、仲
仙道線で故郷へ着いて、そこで、一事を済したあとを、姫路行の汽車で東京へ帰ろうとし....
「木曽の旅人」より 著者:岡本綺堂
たよ。それは明治二十四年の秋で、あの辺も衰微の絶頂であったらしい。なにしろ昔の中
仙道の宿場がすっかり寂れてしまって、土地にはなんにも産物はないし、ほとんどもう立....
「鼠」より 著者:岡本綺堂
京大阪を見物して来ました。こんな長い旅はめったに出来ないので、東海道、帰りには中
仙道を廻ることにして、無事ここまで帰って来ました。」 「それではお宿へのおみやげ....
「良夜」より 著者:饗庭篁村
じる桜、皆な愉快と悲痛と混じたる強き感じの種となりて胸につかえたる碓氷も過ぎ、中
仙道を熊谷まで来たり。明日は馬車にてまっしぐら東京へ乗り込むべしと思えば心に勇み....
「卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
の。それは東海道横浜にござった、葛原(八郎の母方の姓)の妹娘の骨を入れて、――仲
仙道上田にござる姉娘がの、去年供養に見えた一具じゃが、寺で葬るのに墓を穿った時よ....