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代る代る
「代る代る〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
代る代るの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ひょっとこ」より 著者:芥川竜之介
を染めぬいたお揃いの手拭で、鉢巻きをした船頭が二三人|櫓《ろ》と棹《さお》とで、
代る代る漕いでいる。それでも船足は余り早くない。幕のかげから見える頭数は五十人も....
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
ま》のあたりに見られた如くじゃ。」
摩利信乃法師は胸の護符を外して、東西の廊へ
代る代る、誇らしげにさしかざしながら、
「元よりかような霊験《れいげん》は不思議....
「毛利先生」より 著者:芥川竜之介
痛である。そこで自分は仕方がなく、椅子の背へ頭をもたせてブラジル珈琲とハヴァナと
代る代る使いながら、すぐ鼻の先の鏡の中へ、漫然と煮え切らない視線をさまよわせた。....
「路上」より 著者:芥川竜之介
響、伏目になった辰子の姿――ポオト・ワインに暖められた心には、そう云う快い所が、
代る代る浮んだり消えたりした。が、やがて給仕女が一人、紅茶を持って来たのに気がつ....
「素戔嗚尊」より 著者:芥川竜之介
く彼等の心を興奮の網に捉《とら》えていた。だから彼等は二人の力者《りきしゃ》に、
代る代る声援を与えた。古来そのために無数の鶏、無数の犬、無数の人間が徒《いたず》....
「忠義」より 著者:芥川竜之介
屏風《こびょうぶ》で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、
代る代る来て介抱《かいほう》した。中でも松平|兵部少輔《ひょうぶしょうゆう》は、....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
たい気になった。勿論僕もはいった。 この柔道はずいぶんよく勉強した。午後と夜と
代る代るあったのだが、僕はほとんど一日も欠かしたことがなかった。ことに寒稽古には....
「日本脱出記」より 著者:大杉栄
警官でほとんど僕の顔を知らないものはないくらいなのだ。長年鎌倉や逗子にいた間に、
代る代るいろんな奴が尾行に来ている。 改札口を出ようとすると、どこの停車場にも....
「杜子春」より 著者:芥川竜之介
極寒地獄という氷の海が、真暗な空の下に並んでいます。鬼どもはそういう地獄の中へ、
代る代る杜子春を抛りこみました。ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、....
「母を尋ねて三千里」より 著者:アミーチスエドモンド・デ
るのがおそいといって人足の一人が、彼をぶちました。それからというものは人足たちは
代る代る彼を足でけりながら、「この宿なし犬め」といいました。 マルコは悲しくな....
「決闘場」より 著者:岡本かの子
づいても、其処にぼんやり停って足下の芝草を見て居た。が、やがて又唐突に男達の顔を
代る代る等分に見並べた。そして探るように言った。 ――あんた達、決闘をやって御....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
城なぞは有っても無くても『八犬伝』の本筋には少しも関係しないが、考証好きの馬琴が
代る代るに犬士をこの地方に遍歴らさして置いて江戸城を見落さしたのを不思議に思う。....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
岳本来の面目を思う存分に発揮したので、奇名が忽ち都下に喧伝した。当時朝から晩まで
代る代るに訪ずれるのは類は友の変物奇物ばかりで、共に画を描き骨董を品して遊んでば....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
十四歳の青年の作である事を記憶せねばならない。これより以後多くの文人が続出して、
代る代るに文壇を開拓して仏露の自然主義まで漕付けるにおよそ二十年を費やしている。....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
の勃興は当時の欧化熱に負う処があった。 井侯以後、羹に懲りて膾を吹く国粋主義は
代る代るに武士道や報徳講や祖先崇拝や神社崇敬を復興鼓吹した。が、半分化石し掛った....