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代地
「代地〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
代地の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大川の水」より 著者:芥川竜之介
。吾妻橋《あづまばし》から川下ならば、駒形《こまかた》、並木、蔵前《くらまえ》、
代地《だいち》、柳橋《やなぎばし》、あるいは多田の薬師前、うめ堀、横網の川岸――....
「老年」より 著者:芥川竜之介
ぜ。」と、からかったものである。六金さんのほかにも、柳橋《やなぎばし》のが三人、
代地《だいち》の待合の女将《おかみ》が一人来ていたが、皆四十を越した人たちばかり....
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
目逢いたいから、お店《たな》を首尾して廿五日の昼過に、知らない船宿から船に乗り、
代地《だいち》の川長《かわちょう》さんの先の桐屋河岸《きりやがし》へ来て待ってい....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
、評判のたつのを当人が好かねえんで、あんまり世間に知られちゃおりませんが、神田の
代地の伊三郎《いさぶろう》ってえいうちょっと気性の変わった名人はだの親方ですよ」....
「新生」より 著者:島崎藤村
と彼女は言って見せた。
遅くまで人通りの多い下町の方から移って来て見ると、浅草
代地あたりでまだ宵の口かと思われた頃がその高台の上では深夜のように静かであった。....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
話……。金でも降ったというのか」 「まぜっ返しちゃあいけねえ。実はゆうべ、浅草の
代地河岸《だいちぎし》のお園《その》という女の家《うち》へ押込みがはいって、おふ....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
一三 剥製の雉 僕の家へ来る人々の中に「お市さん」という人があった。これは
代地かどこかにいた柳派の「五りん」のお上さんだった。僕はこの「お市さん」にいろい....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
ば一わたり上戸と下戸の口にあう鮨と餡ころの月旦を試みように、弥助は両国の与兵衛、
代地の安宅の松、葭町の毛抜鮨とか、京橋の奴や緑鮨、数え立てたら芝にも神田にも名物....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
取って捩上げようと致しましたが、仮にも十人力と噂のある左官の亥太郎、只今でも浅草
代地の左官某が保存して居るそうですが、亥太郎が常に用いました鏝板は、ざっと一尺五....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
入れてもらえぬ悲しい小屋だ。浅草奥山が官命によって取払われたのは明治十七年、その
代地として当時田ンボの六区が与えられたが、区劃整理して縦横に道を通じて後、ようや....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
て来た。「そうだ誰かにようすを見て来て貰おう」――で、鈴江は内門弟を呼んだ。
「
代地様
代地様ちょっと来てくだされ」――と、玄関に近い部屋から、男の答える声がした....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
へ越すと、蔵前の八幡町、森田町、片町、須賀町(その頃は天王寺ともいった)、茅町、
代地、左衛門河岸(左衛門河岸の右を石切河岸という。名人|是真翁の住居があった)、....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
、浅草の寺内が公園となって改修された。椿岳の住っていた伝法院の隣地は取上げられて
代地を下附されたが、
代地が気に入らなくて俺のいる所がなくなってしまったと苦情をい....
「春泥」より 著者:久保田万太郎
とてもそのまんますぐうちへ帰れない……といったかたちの、そのトボンとした料簡で、
代地だったら場所柄だ、一台位通るだろう。……そう思ったんだそうです。が、半チクな....
「芝、麻布」より 著者:小山内薫
二度や三度は確かにあった。 亡くなった大貫と木村荘太とか藤村党で、よく藤村氏を
代地の家に訪ねた。後藤は荷風党で、永井君の小説を真似た。和辻は日本の「アンナ・カ....