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代将
「代将〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
代将の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
には引きつづいて江戸の将軍の上洛《じょうらく》があった。元和《げんな》九年には二
代将軍秀忠が上洛した。つづいてその世子《せいし》家光も上洛した。その時に秀忠は将....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
日にはなかなか繁昌しました」と、老人はうなずいた。「なんでも文化の初め頃に、十一
代将軍の川崎御参詣があったそうで……。御承知の通り、川崎は厄除大師と云われるので....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
めたものか昔から判らなかったんですが、その慶安四年から六七十年の後、享保年間に八
代将軍が当社へ参詣なされたことがあるそうで、その時にこの絵馬を仰いで、これは正雪....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
番がこのお役を勤めることになったかというと、それにはいろいろの説がありますが、三
代将軍家光公がある時、吹上の御庭をあるいている時に、御庭番の水野なにがしというの....
「河明り」より 著者:岡本かの子
み、私たちにも近寄ることを勧めた。そして問わず語りにこんな話を始めた。 徳川三
代将軍の頃、関西から来て、江戸|廻船の業を始めたものが四五軒あった。 その船は....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
でいました。三島のお嬢さまはその後どうしたか知りません。お近さんのお父さんは十五
代将軍の上洛のお供をして、明治元年の正月、彼の伏見鳥羽の戦いで討死したと云うこと....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
いまでも、徳川家康以下の将軍などは、それに近いものである。殊に温厚そうに見える二
代将軍秀忠の如き、朝廷に対して、悪逆を極めている。 だが、尊氏|丈が、どうして....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
の当主は右之助と呼ばれていた。ところで、今から六代前の大原右之助という人は徳川八
代将軍吉宗に仕えていたが、その時にこういう一つの出来事があったといって、家の記録....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
絵されているではないか。疑がいもなく将軍ご連枝。お年の恰好ご様子から見れば、十一
代将軍家斉公。西丸へご隠居して大御所様。そのお方に相違ない! 紋太郎はハッと呼....
「蜘蛛の夢」より 著者:岡本綺堂
ら本文でございます。前にも申上げました通り、文久三年、この年の二月十三日には十四
代将軍が御上洛になりまして、六月の十六日に御帰城になりました。そのお留守中と申す....
「勝負師」より 著者:織田作之助
頑固なまでに我の強い手であったのだ。大阪の人らしい茶目気や芝居気も現れている。近
代将棋の合理的な理論よりも我流の融通無碍を信じ、それに頼り、それに憑かれるより外....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
、宿直の侍女に見出されて捕えられた。それは当主|光長の母堂(忠直の奥方にして、二
代将軍|秀忠の愛女)の寝室近くであった。その為に罪最も重く磔刑に処せられたのであ....
「茶屋知らず物語」より 著者:岡本かの子
事が起るのも無理はありません。 京都の遊里として名高いのは島原ですが、島原は三
代将軍家光の時分に出来、別に祇園町の茶屋というのが丁度此の時分に出来て、モダンな....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
』が全く流布しないでいるということもない。反対に非常によくひろまった。たとえば三
代将軍|実朝などは、首を長くして待っていて、九月二日には『新古今』の写本一部を携....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
行った「日本遊泳協会」は丁度、この河岸にあったものである。僕はいつか何かの本に三
代将軍家光は水泳を習いに日本橋へ出かけたということを発見し、滑稽に近い今昔の感を....