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代目
「代目〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
代目の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「羅生門の後に」より 著者:芥川竜之介
批評家とを一身に兼ねて、それで格別不満にも思わなかった。尤《もっと》も、途中で三
代目の「新思潮」の同人になって、短篇を一つ発表した事がある。が、間もなく「新思潮....
「老年」より 著者:芥川竜之介
つの間にか飼わなくなった。かわりめ毎に覗き覗きした芝居も、成田屋《なりたや》や五
代目がなくなってからは、行く張合《はりあい》がなくなったのであろう。今も、黄いろ....
「爆薬の花籠」より 著者:海野十三
で、仕方なくそばやさんから、乾うどんの入っていた木箱をゆずってもらって、これを三
代目の金庫としたが、この金庫も、三日目には、札で、すっかり底が浅くなってしまい、....
「開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
ある。卯の花のたえ間をここに音信るるものは、江戸座、雪中庵の社中か、抱一上人の三
代目、少くとも蔵前の成美の末葉ででもあろうと思うと、違う。……田畝に狐火が灯れた....
「照葉狂言」より 著者:泉鏡花
来りたる八年|前のふるさとの目に見ゆるもの皆かわりぬ。 たそがれに戸に出ずる二
代目のおさなき児等、もはや野衾の恐なかるべし。旧のかの酒屋の土蔵の隣なりし観世物....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
の人物にも洋傘やはやり合羽を着せなければ、人々がかえり見ないというふうだった。二
代目左団次が舞台でモヘルの着物をつけたり、洋傘をさしたりなどしたのもこの頃のこと....
「亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
ちに頒って人気を集めたもので、これを浅草の金華堂とかいうので造っていた。当時の五
代目菊五郎の人気などは実に素晴らしいもので、一丁目の中村座を越えてわざわざ市村座....
「梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
に投じて、遂には市川流の荒事という独特な芸術をすら生んだのだ。 荒事といえば二
代目の団十郎にこんな逸話がある。それは或る時座敷に招ばれて、その席上で荒事を所望....
「わが妻の記」より 著者:伊丹万作
壁画のようになつてきた。それで五、六年前に新しく描き直してやつた。だから今のは二
代目である。いつたい、妻は着物はねだらないほうである。着物はかまわないから家具を....
「註文帳」より 著者:泉鏡花
玉と桶の水、切物の刃を真蒼に塗って、あとは薄墨でぼかした彩色、これならば高尾の二
代目三
代目時分の禿が使に来ても、一目して研屋の五助である。 敷居の内は一坪ばか....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
。その中に同じ故郷人が小さな軽焼屋の店を出していたのを譲り受け、親の名を継いで二
代目服部喜兵衛と名乗って軽焼屋を初めた。その時が十六歳であった。屋号を淡島屋とい....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
彼得よりこの法王に至るまで、二百六十三代を経るという。すなわち、当代は二百六十三
代目の法王なり。 法王の下には、法王の大臣参議もしくは顧問官とも称すべきもの数....
「魂の喘ぎ」より 著者:大倉燁子
分旧い話だが、先代の藤原侯には公高という一人息子があった、それがつまり藤原家の何
代目かの後継ぎだが、十一の時行方不明になったままで今日に至っている。その当時評判....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
無給である。龍ぼんこと川西龍三氏は旧川西航空機の社長になった人だが、その父君の二
代目清兵衛氏は日本毛織の創立者として有名な人である。大だんなの先代清兵衛氏も当時....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
ではない。のみならず「橋本」へ来たことさえあるかないかわからない位である。が、五
代目菊五郎の最初の脳溢血を起したのは確かこの「橋本」の二階だったであろう。 掘....