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「以北〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

以北の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
高山の雪」より 著者:小島烏水
薬師岳(二九二六米突)、信州黒部の五郎岳(二八四〇米突)などで、一体に槍ヶ岳から以北、即ち立山山脈、または後立山山脈に頗る多い。私が薬師岳で観察した所に依ると、....
号外」より 著者:国木田独歩
四月二十八日午後三時五分発、同月同日午後九時二十五分着。敵は靉河右岸に沿い九連城以北に工事を継続しつつあり、二十八日も時々砲撃しつつあり、二十六日|九里島対岸に....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
」と将軍は顔をあげて云った。「儂の考えでは、今夜が最も危険じゃ。もう一度、宇都宮以北の防空監視哨へ、警告を発して置け」 「はッ、承知いたしました」 そこへ、バ....
白峰山脈縦断記」より 著者:小島烏水
、新雪ででもあるかのように、釉薬をかけた色をして、鮮やかに光っている。 槍ヶ岳以北は、見えなかったが、木曾駒ヶ岳は、雪の荒縞を着ながらも、その膚の碧は、透き通....
伊吹山の句について」より 著者:寺田寅彦
従って大垣道から見て、この山はかなり顕著な目標物でなければならない。もっとも伊吹以北の峰つづきには、やはり千メートル以上の最高点がいくつかあるから、富士のような....
天馬」より 著者:金史良
ないことを何度も云ってやった筈だのに。 わが京城は黄金通りを境界線として、その以北が純然たる朝鮮人街である。長谷川町から黄金通りへ出、茶房リラの前へ通りかかっ....
連環記」より 著者:幸田露伴
って居る、それが今存している池亭記である。記には先ず京都東西の盛衰を叙して、四条以北、乾艮二方の繁栄は到底自分等の居を営むを許さざるを述べ、六条以北、窮僻の地に....
札幌まで」より 著者:寺田寅彦
九月二十九日。二時半上野発。九時四十三分仙台着。一泊。翌朝七時八分青森行に乗る。 仙台以北は始めての旅だから、例により陸地測量部二十万分の一の地図を拡げて車窓から沿路....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
者らは、ロアール河以南には何物も認めようとしなかった。南方主義者らは、ロアール河以北の者を野蛮人だと呼んでいた。その他、ゲルマン民族たることを光栄としてる人々、....
凍雨と雨氷」より 著者:寺田寅彦
空中の状況がよく分って面白い。氷点に相当する等温線が大陸をほぼ東西に横断してその以北は雪、以南は雨が降っている、その雨と雪の境界に沿うて帯状をなした区域が凍雨や....
「太平洋漏水孔」漂流記」より 著者:小栗虫太郎
「黒人諸島」浦島 それが、第一次大戦勃発直後の大正三年の秋――。日本海軍が赤道以北の独領諸島を掃蕩しつくしたけれど、まだドイツ東洋艦隊が南太平洋にいるという頃....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
ちて、もはや「民部式」から除かれた証拠にもなるべきものである。 かくてこの和賀以北、稗貫・紫波・岩手諸郡の地を領した俘囚長たる安倍氏が、次第に勢力を南に及ぼし....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
でも、遠征の手を延ばしました。しかしこれはそのあとが続かず、今の秋田県の北部地方以北は再び蝦夷の手に放任することに成った様ではありますが、奈良朝のはじめには出羽....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
もとオヒナサマではなかったかというのである。 ヒとシとを混同することは今も関東以北にふつうに見るところで、少しも不思議はない。現に黒石で佐々木君はオヒナサマと....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
車して有吉君に行程のことを電話し、次の列車に乗りかえて北に進む。天童・神町・楯岡以北、まただんだんと雪が多くなっている。平地では約二尺、線路の両側に掻き上げた所....