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以南
「以南〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
以南の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「高山の雪」より 著者:小島烏水
たか》める結果になる、日本アルプスを仮に最北を白馬岳から、最南を富士山より少しく
以南(赤石山系の最南端は低いから除いて)までとすれば、おそらく雪線高低の差は、三....
「街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
魚市場のすぐうしろにある、無線電信のポールを秋空高く仰いだ向う岸の築地三丁目
以南、起生橋を中心としてベタ一面に並んだ店は、いかさま彼ら兄い連の御蔭で繁昌して....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
種と言っても黄河沿岸はもちろんのこと、揚子江沿岸でも亜熱帯とは言われず、ヒマラヤ
以南の南種に比べては、多分に北種に近い性格をもっている。 清水氏は 『日本真体....
「とむらい機関車」より 著者:大阪圭吉
のだ。時としてはそのまま死ぬ事もあるが、ま、猛毒ではないそうだ。日本内地でも中部
以南の山野にいくらも自生しているものだよ。ところで、もうひとつこの莽草の樹の用途....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
ている。風が少しもないので暑い。雄山神社の雪のツララが溶けて落ちるくらいだ。乗鞍
以南は春霞で見えぬ。笠、黒部五郎、薬師等は真白だが、槍、穂高、後立山の連峰は思っ....
「上海の渋面」より 著者:豊島与志雄
海の現在の知識階級の人々は、政治情勢への顧慮なしには生活し難い状態である。蘇州河
以南の租界に住んでる彼等の多くは、其処が未だ日本に対する敵性の濃い英米の勢力圏内....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
義者らは、ライン河以東には何物も認めようとしなかった。北方主義者らは、ロアール河
以南には何物も認めようとしなかった。南方主義者らは、ロアール河以北の者を野蛮人だ....
「凍雨と雨氷」より 著者:寺田寅彦
がよく分って面白い。氷点に相当する等温線が大陸をほぼ東西に横断してその以北は雪、
以南は雨が降っている、その雨と雪の境界に沿うて帯状をなした区域が凍雨や雨氷に見舞....
「ヤトラカン・サミ博士の椅子」より 著者:牧逸馬
他にこれを凌駕《りょうが》するものなし。赤道を北に去ること四百マイルにして、中部
以南はいささか暑さに失するきらいありといえども、それも、つねに親切なる涼風に恵ま....
「荒磯の興味」より 著者:佐藤惣之助
らもある。たとえば式根島でもそれを味える、神津島でも八丈島でも、陸つづきなら下田
以南、石廊岬から西へ行けば、私のいう荒磯はいくらもあり、関西なら潮岬から土佐海岸....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
、栂原山、ヤケノソリ、エンマノトヤ等の諸山は、一連の山脈をなし、その山頂が界で、
以南はすべて根利に属すというのである。皇海山から西に派出した支脈に延間峠というの....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
景色を見た時には何となく愉快なる感に打たれてまずその南方に対しては、これより遙か
以南なる釈迦牟尼如来が成仏なされたブダガヤの霊場を追想し、曩日彼の霊場において誓....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
ったが、さらに正徳二年に、妙法院に於いてこの地が入用とあって、妙法院領七条お土居
以南の高瀬川付近に地を点定し、ここに移転せしめたのが後の柳原六条村である。当時給....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
絡して要線の占領を確実ならしむる事とした。 行動開始前の四月九日に於けるポー川
以南にある部隊の位置、右図の如し。 即ち約三万の兵力が攻撃前進を前にして縦深六....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
らぬ訳であるが、夫が出来なかったのは遺憾である。 夫よりも遺憾であったのは針木
以南の連嶺が雲の為に見えなかった事だ。遠い南方の空は真夏らしい輝きを帯びた純白な....