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「以東〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

以東の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黄村先生言行録」より 著者:太宰治
《はちまん》というところがありまして、その八幡が、まあ、東の境になっていて、その以東には山椒魚は見当らぬ、そうして、その八幡から西、中央山脈を伝わって本州の端ま....
武蔵野」より 著者:国木田独歩
とごとく落葉し、春は滴《したた》るばかりの新緑|萌《も》え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞《かすみ》に雨に月に風に霧に....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
南北アメリカの英国の領土は、合衆国の力に対して絶対に保持できません。シンガポール以東、オーストラリアや南洋は、英国の力をもってしては、日本の威力に対して断じて保....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
が起らずにはいまいと噂されていた。勿論そういう臆測を生むについては、ボスフォラス以東にただ一つしかないと云われる降矢木家の建物が、明らかに重大な理由の一つとなっ....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
百万両という巨額でした。徳川領の関東八カ国だけを敵に廻したら裕に二十カ年、関ガ原以東の諸大名を対手にしたら八カ年、六十余州すべてを敵に引きうけても、結構三カ年間....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
被害のあらましの報告が荒町方面からも峠方面からも半蔵のところに集まって来た。馬籠以東の宿では、妻籠、三留野両宿ともに格別の障りはないとのうわさもあり、中津川辺も....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ほどの決心なしに動かれる場合でもない。一方には京都市民の動揺があり、一方には静岡以東の御通行さえも懸念せられる。途中に鳳輦を押しとどめるものもあるやの流言もしき....
取舵」より 著者:泉鏡花
江津間の航路の三分の一は、遙に能登半島の庇護によりて、辛くも内海を形成れども、泊以東は全く洋々たる外海にて、快晴の日は、佐渡島の糢糊たるを見るのみなれば、四面※....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
とは朝鮮を目して日出処と呼んだのであった。しかしながら、事実上国家としては我が国以東に位置するものなく、我が国は世界の最東日出処であり、すなわち日の本である。か....
活人形」より 著者:泉鏡花
物と見ゆ。遥々我を頼みて来し、その心さえ浅からぬに、蝦夷、松前はともかくも、箱根以東にその様なる怪物を棲せ置きては、我が職務の恥辱なり。いで夏の日の眠気覚しに、....
勝ずば」より 著者:岡本かの子
夜明けであった。隅田川以東に散在する材木堀の間に挟まれた小さな町々の家並みは、やがて孵化する雛を待つ牝....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
百姓二千五百余人を陸奥国伊治城に置くとか、平安朝の初め延暦二十一年に、駿河・甲斐以東諸国の浪人四千余人を、陸奥国胆沢城に配置すなどいうことが、しばしば古書に見え....
明石鯛に優る朝鮮の鯛」より 著者:北大路魯山人
った。その時季がちょうど五月一日から三十日までであった。行程は朝鮮半島の京城から以東をおよそ全部旅行した。その折、太口面(康津郡)すなわち木浦から少し手前、康津....
小ざかな干物の味」より 著者:北大路魯山人
がにじみ出て、その舌に残る後口に、たまらないものがある。やなぎがれい、これは静岡以東が本場らしく、目板がれい、すなわち上方でいう松葉がれいは、だんぜん若狭ものを....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
の計画であった一九〇五年の対仏作戦計画は彼の理想を最もよく現わしている。ベルダン以東には真に僅少の兵力で満足して主力をオアーズ河以西に進め、ラフェール、パリ間に....