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以西
「以西〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
以西の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
九〇五年十二月案には、アルザス・ロートリンゲン地方の兵力を極端に減少してベルダン
以西に主力を用い、パリを大兵力をもって攻囲した上、更に七軍団(十四師団)の強大な....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
これもアメリカのお蔭かと、憤慨しながら力を出す。 七月二十六日 ◯一昨日、中部
以西へB29、七百機、その他小型機合計二千機来襲す。これまでの記録破りの賑かさな....
「気狂い機関車」より 著者:大阪圭吉
殺害に使われた兇器は発見からなかった。そして線路の脇の血の雫の跡も、もうそれより
以西には着いていなかった。 司法主任は、第二の屍体の発見に依って自分の抱いてい....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
少し経ってから、空堀の方、玉造の方にも、そういう市場の集団が出来た。これは、横堀
以西に余りないのであった。 八百屋、魚屋の類が、凡そ、二三町の間に、連なってい....
「空襲下の日本」より 著者:海野十三
ーコン号にしては時刻がすこし喰いちがっています。中国からの襲撃でないことは、近畿
以西の情報がないですから……」 「で、何処からだというのか」 「勿論、西比利亜地....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ような心配はない。 ただ、気の毒なことは、過日の火事である。不幸中にも、代官邸
以西まで火は届かなかったが、宮川通りから一の町、二の町、三の町、川西の方までも目....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
は関東へ取られたが、経済的には、実力的には……文化的には、曰《いわ》く、何々、関
以西のある一角には、絶えずその対抗意識が含まれていたものと見れば見られる。いわば....
「富岡先生」より 著者:国木田独歩
も少くはなかった。 法学士大津定二郎が帰省した。彼は三人の一人である。何峠から
以西、何川辺までの、何町、何村、字何の何という処々の家の、種々の雑談に一つ新しい....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
に遣わしたというのも多分かく都合のよい荘園であったからだろうと思われる。 山城
以西は上述のとおりであるが、以東の美濃・越前にも所領があった。越前の所領というは....
「墓地展望亭」より 著者:久生十蘭
いったが、間もなく、コソヴオ橋の袂で銃剣の兵士に堰き止められてしまった。それから
以西は管制区域になっているということだった。 文部省は、猶太《ユダヤ》教の寺院....
「平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
よりも高くしてかつ南に在る中ノ岳を、上野界に認めしやも知るべからず、同図の只見川
以西の国界には西より数えて、荒沢岳、白沢岳、中岳、鶴ヶ岳とありて、鶴ヶ岳を北、南....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
日出処」はすなわち「日の本」である。日の本は東方を意味する語で、本来はそれよりも
以西にある地方の住民が、東方日出処を指して呼んだ語でなければならぬ。何となれば、....
「西航日録」より 著者:井上円了
いえども、常に濃陰日光をとざし、ときに驟雨暑気を洗い、やや清涼を覚ゆ。シャンハイ
以西ここに至るまでの間、沿海の諸山、みな赤土を現出し、往々石骨を露出し、一つとし....
「汽船が太平洋を横断するまで」より 著者:服部之総
ド以東がどんなに遠かろうと、いたるところ商利を約束する港々に満ちているが、太平洋
以西はサンフランシスコまで北上したところで、スペイン人の修道館が一つボソリと立っ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
を最もよく現わしている。ベルダン以東には真に僅少の兵力で満足して主力をオアーズ河
以西に進め、ラフェール、パリ間には十個軍団を向け、パリは補充六個軍団で攻囲し、更....