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伊井蓉峰
「伊井蓉峰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
伊井蓉峰の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
力の曾我兄弟はまったく珍しかったかも知れません。 東京へ帰ってから聞きますと、
伊井蓉峰の新派一座が中洲の真砂座で日露戦争の狂言を上演、曾我兄弟が苦力に姿をやつ....
「マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
《ちょうじ》屋の小照といい、一人は浜田屋の奴《やっこ》だと聞いていた。小照は後に
伊井蓉峰《いいようほう》の細君となったお貞《てい》さんで、奴は川上のお貞《さだ》....
「寺内の奇人団」より 著者:淡島寒月
で渡りをつけないで、別派の見世物として取扱われていたのでした。 それから次には
伊井蓉峰の親父さんのヘヾライさん。まるで毛唐人のような名前ですが、それでも江戸ッ....
「諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
あった。 当時奥山の住人というと奇人ばかりで、今立派な共同便所のある処|辺に、
伊井蓉峰のお父さんの、例のヘベライといった北庭筑波がいました。ヘベライというのは....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
顔立ちの、派手者《はでしゃ》だった。 秀造さんは私の老母《はは》にいわせると、
伊井蓉峰《いいようほう》の顔を、もっと優しく――優しくの意味は美男を鼻にかけない....
「市川九女八」より 著者:長谷川時雨
者の仲間であった学海が、明治廿四年浅草公園裏の吾妻《あづま》座(後の宮戸座)で、
伊井蓉峰《いいようほう》をはじめ男女合同学生演劇済美館の旗上げをした時、芳町《よ....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
彼の姉が――縁のつづき合いは知らぬが、日本の写真商売にとっては、大先輩だった――
伊井蓉峰の父親の北庭筑波の門に入って写真を習い、新富町に塙芳野という表徳で、写真....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
と云ったところで、個々の「好男子」を数え立ててもイミはない。 明治の新派俳優の
伊井蓉峰は、その名の「いい容貌」とあった通り、一世の美男を謳われたものだったが、....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
を組織しようと考えた。その尽力と後援とによって成立したのが、済美団という一座で、
伊井蓉峰がこの時初めて舞台の人となったのである。水野好美も画筆をなげうって参加し....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
使の抗議に遭い、半途よりその一幕を削りて、更に「義経腰越状」を加う。 ○十一月、
伊井蓉峰、水野好美らが済美団を起し、浅草公園の吾妻座にて開演。女優として千歳米坡....
「唖娘」より 著者:田中貢太郎
伊井蓉峰の弟子に石井|孝三郎と云う女形があった。絵が好きで清方の弟子になっていた....
「雷門以北」より 著者:久保田万太郎
校歌の出来たのもその時分だった。 その学校の、古い時分の卒業生に、来馬琢道氏、
伊井蓉峰氏、田村とし子氏、土岐善麿氏、太田孝之博士がある。わたしと大ていおんなし....