伊勢神宮[語句情報] »
伊勢神宮
「伊勢神宮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
伊勢神宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
に春日社へ御参拝のためで、しばらく御逗留、御親征の軍議もあらせられた上で、さらに
伊勢神宮へ行幸のことに承った。この大和行幸の洛中へ触れ出されたのを自分が知ったの....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
。その時、半蔵は正香の仕えに行く賀茂両社の方のことを娘に語り聞かせた。その神社が
伊勢神宮に次ぐ高い格式のものと聞くことなぞを語り聞かせた。平安朝と言った昔は、歴....
「旅愁」より 著者:横光利一
ぬのは、ここから日本のことを思うと、いつでも人が日本に一人もいなくて、はっきり、
伊勢神宮だけが見えてくることだね。これやどういうもんだろう。」
矢代はブリュウ....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
常処女にて 〔巻一・二二〕 吹黄刀自 十市皇女(御父大海人皇子、御母額田王)が
伊勢神宮に参拝せられたとき、皇女に従った吹黄刀自が波多横山の巌を見て詠んだ歌であ....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
来が
「西の丸、御炎上致しました」
と、いった時
「馬鹿っ、炎上とは、御所か、
伊勢神宮の火事を申すのだ。ただ、焼けたと申せ」
と、怒鳴る人であった。家来が恐....
「昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
|末山《すえやま》大将は旗艦『長門』に乗って、横須賀から伊勢湾に向って急行した。
伊勢神宮に戦勝を祈るためである。 末山大将は吉田松陰や山県有朋を生んだ長門《な....
「猿の図」より 著者:三好十郎
が知ったということであります! そしてそれを知ったのは、このたび催していただいた
伊勢神宮における錬成会においてであります。……もちろん、私どもは――』 大野 (....
「古事記」より 著者:太安万侶
られる種々《いろいろ》のことを取り扱つてお仕え申せ」と仰せられました。この二神は
伊勢神宮にお祭り申し上げております。なお
伊勢神宮の外宮《げくう》にはトヨウケの神....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の壁へ倚りかかって、いいあんばいに温もりながら、もう半分眠っていながらいう。 (
伊勢神宮の神官か、そこへ行ったのならすぐ分る、よし……) 勿論その夜は、筵のう....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
には、相違ござりませねど、そは、前年の十一月、歳々の恒例にて、領下の御厨の貢物、
伊勢神宮に運上したてまつるお使いにてまいった帰りを、都廻りして、立帰ったまでのこ....
「母の手毬歌」より 著者:柳田国男
を葺く習わしは古いが、もとはその利用者がかぎられていた。寺を瓦葺きといった言葉が
伊勢神宮にもあって、宮殿や神のお社でさえも、さいしょは瓦をつかってはいなかった。....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
死に邪魔をするんだろう」などと冗談を言うような有様であった。 昭和二年の晩秋、
伊勢神宮に参拝のとき、国威西方に燦然として輝く霊威をうけて帰来。私の最も尊敬する....