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「伊勢路〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

伊勢路の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
筋ですかね。それとも人間はそんなものでしょうか」 と、言った。 汽車の窓から伊勢路の山々が見え出した。冬近い野は農家の軒のまわりにも、田の畦《あぜ》にも大根....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
「いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ来ました」 「なんでそんなに諸国を廻....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
このような身の上でござりますから、どこという定めもござりませぬ。中国から京大坂、伊勢路、近江路、所々をさまよい歩いておりました。」 「お手前は武家でござろうな。....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
と、それでも足りそうもないと言う父の話は半蔵を驚かした。 「美濃の方じゃ、お前、伊勢路からも人足を許されて、もう触れ当てに出かけたものもあるというよ。美濃の鵜沼....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
な時候が続き、五月にはいってからもしきりに雨が来た。この旅の間、半蔵は名古屋から伊勢路へかけてほとんど毎日のように降られ続け、わずかに旧師寛斎の墓前にぬかずいた....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
「本陣の旦那」と考えることには変わりはなかった。慶応四年の五月から六月へかけて、伊勢路より京都への長道中を半蔵と共にしたその同じ思い出につながれているのも、この....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
わい坂」というのがあって、それを登ると宇陀郡《うだごおり》萩原の宿へ出る、それが伊勢路へかかって東海道へ出る道であるから、当然それを取らねばならぬ。竜之助が、こ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
こに必要を認めず。いよいよ、これらの一味の者が散々《ちりぢり》になって、或る者は伊勢路へ、或る者は紀州領へ、或る者は大阪方面を指して、さまざまに姿を変えて落ちた....
歌行灯」より 著者:泉鏡花
と行きたいが、其許は年上で、ちとそりが合わぬ。だがね、家元の弥次郎兵衛どの事も、伊勢路では、これ、同伴の喜多八にはぐれて、一人旅のとぼとぼと、棚からぶら下った宿....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
小牧《こまき》であり、大垣であり、岐阜であり、清洲《きよす》であり、東海道と伊勢路、その要衝のすべてが、尾張名古屋の城に集中する。 今し、彼等の間に拡げら....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
《こおり》、関ヶ原―― 十五 こうして米友は、美濃、尾張から伊勢路へつづく平野の中を、南宮山をまともに見、養老、胆吹《いぶき》の山つづきを左....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
てている者もある。 五 これより先、海鹿島《あじかじま》から伊勢路の浦へ、上陸した御用船の一行がありました。 これも役人は役人だが、ただの....
伊勢之巻」より 著者:泉鏡花
までに、鵲の橋を辷って銀河を渡ったと思った、それからというものは、夜に入ってこの伊勢路へかかるのが、何か、雲の上の国へでも入るようだったもの、どうして、あの人形....
あしびの花」より 著者:土田杏村
かぬと守部は言ふけれども、馬酔木としてこそ実感そのままの描写である。昔は河内から伊勢路へかけて、馬酔木の花は大和一面にさきつらなつてゐたらしい。 作品の解釈は....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
から山岳になって吉野へ熊野へと通じるわけだ。東の方へは初瀬から宇陀、伊賀を越えて伊勢路へ通じ、西の方へは二上山を経て河内、大阪方面へ通じている。三輪のミヤコをま....