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「伊東忠太〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

伊東忠太の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
思想としての文学」より 著者:戸坂潤
寺田寅彦があるし、医学の教授では古屋芳雄、式場隆三郎、林髞等々があるし、建築学者伊東忠太の時事漫画などまでもこれに数えてよい。 ここですぐ気のつくことは、その....
社会時評」より 著者:戸坂潤
党・実業界から一斉に、極めて強烈な反対の気勢が上がり始めた。岡部長景・馬場※一・伊東忠太の三氏は七月二十九日首相を訪問して、百名の賛成署名による反対決議文を手交....
写真に添えて」より 著者:宮本百合子
でも、北沢さんがもしまだお捨てになっていないのならいただきたいと考えております。伊東忠太氏が漫画をかかれます。練達とともに非常に或るテムペラメントの現れたものを....
明治のランプ」より 著者:宮本百合子
のを持っていたことあり、そこに長男であった父精一郎はじめ、何人かの青年が暮した。伊東忠太博士、池田成彬、後藤新平、平田東助等の青年時代、明治の暁けぼのの思い出の....
日記」より 著者:宮本百合子
て来たことが自覚される。こんな工合では、正月に書けるかなどとも不安になって来た。伊東忠太氏へ『中公』を送った。 九月九日(土曜) 「鈍色の夢」の参考にもと思って....
日記」より 著者:宮本百合子
も数等劣って居る。「先覚」をよむ。 二月十九日(月曜) 小島氏の御祝いに行く。伊東忠太氏の応接間は殆ど喫驚《びっくり》した位いやなところだ。彼の人達の思想がの....
芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
朝鮮における仏寺の建築に見ざる形式のものであるという。 これは東洋建築史の泰斗伊東忠太博士の意見であるから、もちろん安んじて信憑すべきである。わが祖先は法隆寺....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
に放任し、また記録いじりの学者のみに委任してはおかなかった。明治二十九年に工学士伊東忠太君は、その建築学者としての立場から実地について調査を重ねられ、「法隆寺建....