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伊能
「伊能〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
伊能の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「死生」より 著者:幸徳秋水
なる事業の沢を万人に被らすに至るには、長年月を要することが多いのは言う迄もない。
伊能忠敬は五十歳から当時三十余歳の高橋左衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ところ、測ったところを論拠として、それを言うのです。地図の測量では、下総の佐原の
伊能忠敬が名人ですが、拙者といえども、自分の職とする道に於ては、かなり忠実綿密な....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
沢を万人にこうむらすにいたるには、長年月を要することが多いのは、いうまでもない。
伊能|忠敬は、五十歳から当時三十余歳の高橋作左衛門の門にはいって測量の学をおさめ....
「安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
人々家庭の楽あるは太平の恵沢である。家に良妻ある程幸福はない。私の前妻節子は佐原
伊能氏の娘で、実に貞淑であり、私の成功は一にその内助に依り、その上二男三女を設け....
「芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
が発揮されていること、われらは実際に見て感慨がはなはだ深い。 新進の美術史家団
伊能氏の談話によるに、わが国の古彫刻はもとよりギリシアの影響を受けている。その影....
「和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
に学修を進めるという精神が、すべての場合に発揮されているように思われる。それには
伊能忠敬の沿岸測量のことなども、地方人士の向学心を刺激したことであろう。また種々....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
じく大阪におり、その門下から高橋至時及び間重富のごとき大家が出で、この三人の手で
伊能忠敬の事業は準備が成るのであるが、その仕事が大阪で始められて江戸で完成したの....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
求めねばならぬ。 巻頭挿入するところの図版の一つは、東京帝室博物館の所蔵で、故
伊能嘉矩君の寄附にかかる物。おそらく同君の郷里なる、陸中遠野あたりの物であろう。....
「脚」より 著者:吉川英治
も、誤りはないぞ」 彦太は、帳場の暇を見て、撃剣を習いに通った。 楓河岸に、
伊能一雲の子、
伊能矢柄が住んでいた。一刀流で人格者だった。 「出精すれば、上がる....
「遠野物語」より 著者:柳田国男
神たちの遊べるところを邪魔したる故、その祟をうけて死したるなりといえり。この人は
伊能先生なども知合なりき。今より十余年前の事なり。 九二 昨年のことなり。土淵村....
「山の人生」より 著者:柳田国男
るもの也。此道を行かば又何処とも無く踏迷ひなんとて、尚峯に登る云々」とあった。故
伊能嘉矩氏の言には、陸中遠野地方でも山の頂の草原の間に、路らしいものの痕迹あると....