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伊藤博文
「伊藤博文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
伊藤博文の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
牛《うし》の御前《ごぜ》に往《い》ってごらんなさると立派な花崗石《かこうせき》で
伊藤博文さんが書いた「天下之糸平」という碑が建っております。それは、その千載にま....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
くろど》の腸を読みにかかるのももっともと云わねばなるまい。第一に眼にとまったのが
伊藤博文の逆《さ》か立《だ》ちである。上を見ると明治十一年九月廿八日とある。韓国....
「深夜の市長」より 著者:海野十三
次第引っ掻きまわされてあったが、これは速水のやったものに違いなかった。欄間を飾る
伊藤博文公の額もブランと宙に下っているし、床の間からは掛軸が外され、青銅製の釣鐘....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
って何人も想い当った事に違いない。 東京政府の狼狽は非常であった。三条|実美、
伊藤博文等は平和論を主張して居たし、朝廷にても、有栖川宮|熾仁親王を勅使として遣....
「花吹雪」より 著者:太宰治
ちつきがある。この落ちつきがなければ、男子はどんな仕事もやり了せる事が出来ない。
伊藤博文だって、ただの才子じゃないのですよ。いくたびも剣の下をくぐって来ている。....
「もの思う葦」より 著者:太宰治
も、ペエンレッスの状態である。それでは、上は、ナポレオン、ミケランジェロ、下は、
伊藤博文、尾崎紅葉にいたるまで、そのすべての仕事は、みんな物狂いの状態から発した....
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
というのが、三越の四階に開催された。いろいろおもしろいものが陳列されている中に、
伊藤博文公夫人が公の愛用のシガーのバンドをたくさんに集めて、それを六枚折り(?)....
「マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
だ。賢なる彼女は、養母の教えを強《しか》と心に秘めていたが、間もなく時の総理大臣
伊藤博文侯が奴の後立てであることが公然にされた。彼女はもう全く恐《こわ》いものは....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
り進んで准奏任御用係というのでいたが、この際更に文部権少書記官に昇進した。翌年は
伊藤博文氏の総理大臣の下に官制その他の大改革をせらるる事になったので、更《あらた....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
ている、件《くだん》の帽子を被っていたから人相はよく分らなかった。 それから、
伊藤博文公は韓国統監時代に李王世子のお伴《とも》をしてであったか、なかったか三越....
「時 処 人」より 著者:岸田国士
と。 アテネの町を小田原の町と置きかえてみたら不都合であろうか? 山県有朋も
伊藤博文も、ここに別荘を建て、それぞれ古稀庵、滄浪閣と名づけて、今もその跡が残つ....
「田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
、矢野|竜渓《りゅうけい》、末広鉄腸《すえひろてつちょう》がある。 夫松さんは
伊藤博文の愛婿《あいせい》で、若い時から非常な秀才と目されていた人だったという。....
「赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
るのだそうだ。義憤の念を禁じ得ないではないか。公会堂をも見た。この公会堂に於て故
伊藤博文公が、ハルビン駅頭で鮮人に暗殺される三日前、盛大極まる歓迎宴が開かれたこ....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
、古来その例に乏しくない。「稲荷」と書いてイナリと読むことはだれも知っているが、
伊藤博文公の出生地なるツカリも同じく「束荷」と書く。越前の敦賀は旧名|角鹿であっ....
「黒田清隆の方針」より 著者:服部之総
日付をもつ伊藤民部兼大蔵|少輔《しょうふ》から大隈民部兼大蔵大輔にあてた書簡(『
伊藤博文伝』上巻所収)で、この二人がいかにこのスキャンダルで仰天したか、あきらか....