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伊賀
「伊賀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
伊賀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
《しょしだい》にしばしば願書をささげて、隠し売女の取締りを訴えたが、名奉行の板倉
伊賀守もこの問題に対しては余り多くの注意を払わなかったらしく、祇園その他の売女は....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
は勿論、世間の人々をもおどろかしたのである。事件の起る前夜、住職の英善は、根岸の
伊賀屋という道具屋の仏事にまねかれて、小坊主の英俊を連れて出たが、四ツ(午後十時....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
である。そのときの狂言は「天一坊」の通しで、初代左団次の大岡越前守、権十郎の山内
伊賀之助、小団次の天一坊という役割であった。 わたしの予想通り、老人はなかなか....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
至極無事であったのですが、そのあくる日、江戸を出てから四日目に三島の宿を立って、
伊賀越の浄瑠璃でおなじみの沼津の宿をさして行くことになりました。上下五人の荷物は....
「猿飛佐助」より 著者:織田作之助
…。バテレンもどきの呪文を唱えたかと思えば、罷り出でたる大蟇一匹。児来也ばりの、
伊賀流妖魔の術とは、ても貧弱よな、笑止よな。そっちが
伊賀流なら、こっちは甲賀流。....
「死者の書」より 著者:折口信夫
人の多く見出される場処と言う場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入ったものは、
伊賀境までも踏み込んだ。高円山の墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村、北....
「湯女の魂」より 著者:泉鏡花
うございますから、 「まあまあお前さん方。」 「さようならば、御免を蒙りまする。
伊賀|越でおいでなすったお客じゃないから、私が股引穢うても穿いて寝るには及ばんわ....
「嫉みの話」より 著者:折口信夫
、兄弟、主君の敵討ちのうち、主君の敵討ちを道徳的に高いものとみている。兄弟のは、
伊賀越えなどがその例で、これになると、根本は軽いように思われるが、昔の人は同様に....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
座で、主なる役割は大岡越前守(坂東彦三郎)天一坊、白石治右衛門(尾上菊五郎)山内
伊賀之助、吉田三五郎(市川左団次)等であった。 明治以後の黙阿弥作として最もよ....
「備前天一坊」より 著者:江見水蔭
るらしき四十年配の総髪頭。被服から見ても医者という事が知れるのであった。 「かの
伊賀越の敵討、その起因は当国で御座った。それやこれやで、鳥取の池田家と、岡山の池....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
ねたのと、戦乱の塵がややもすればその草の戸にまで舞い込んで来るのを避けて、さらに
伊賀国へ引き移って、国見山の麓にかくれていた。そうして、師直一門滅亡の噂がそこら....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
のくらいが相当であったらしい。わたしはこの種の草双紙で「松栄千代田神徳」「日本晴
伊賀仇討」「茶臼山凱歌陣立」「天衣紛上野初花」「古代形新染浴衣」そのほかにも幾種....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
いは以前からの屋号であったか判然しない。商牌及び袋には浅草御門内馬喰町四丁目淡島
伊賀掾菅原秀慶謹製とあった。これが名物淡島軽焼屋のそもそもであった。 軽焼とい....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
ためなり。但し一月狂言の「大岡政談」に、彦三郎の越前守、菊五郎の天一坊、左団次の
伊賀之亮、いずれも好評。 ○一月、東京府令により、俳優は税金として上等五円、中等....
「古事記」より 著者:太安万侶
天下をお治めになりました。次にシキツ彦の命の御子がお二方あつて、お一方の子孫は、
伊賀の須知の稻置《いなき》・那婆理《なはり》の稻置・三野の稻置の祖先です。お一方....