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会同
「会同〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
会同の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
一切の諸事件をことごとく取り扱うから、今日改めて朝廷守護の列藩と共に、各国公使に
会同してこの盟約を定める旨を告げた。これには公使らも異議がない。帝はじめ列藩の諸....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
台場の空地(今の女専所在地)で九州沖縄八県聯合の共進会があった。頗る大規模の博覧
会同様のものであった上に、日露戦争直後であったため非常な人気で、福岡名物、全市無....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
その後は、鈴慕の音色が時あって、不意に起り来《きた》ることはあっても、それは一座
会同の席の場合に、聞き合わせることは滅多になかったから、箇々に、離れ離れにこそ、....
「省察」より 著者:デカルトルネ
て申しておりますとはいえ、しかしレオ十世の下に開かれましたラテラン公会議は、第八
会同におきまして、彼等を非とし、そしてキリスト教哲学者たちにかの人々の論拠を破り....
「ヒウザン会とパンの会」より 著者:高村光太郎
郎を中心とする一派、斎藤与里を中心とする一派等に分れていた。 われわれヒウザン
会同人は、当時、殆んど毎日のように本郷白山の真田久吉の下宿に集合して、気焔を挙げ....
「教育の目的」より 著者:福沢諭吉
主とし、その先輩の巨魁《きょかい》に仕えて礼をつくし、窃盗を働くに智術をきわめ、
会同・離散の時刻に約を違《たが》えざる等、その局処についてこれをみれば、仁義礼智....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
るいはむずかしき文字を用いたるところもあり。またこの五編も明治七年一月一日、社中
会同の時に述べたる詞《ことば》を文章に記したるものなれば、その文の体裁も四編に異....
「妖怪報告」より 著者:井上円了
るにより、妻、一婢をもって出迎えせしは、すでに夜七時。提灯を携え東奔西馳し、父に
会同せんことを企図すれども、途次さらに人影だもあることなし。よって、むなしく帰家....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
来するを少しも干渉しないのみならず、教師自身が率先して種々の名目の下に青年男女を
会同し、自由に野方図に狎戯け散らすのを寛大に見た。随って当時の女学校の寄宿舎の応....
「孔子」より 著者:和辻哲郎
十|如しくは五、六十にして邦にあらざるものを見ん。赤と唯も則ち邦に非ずや、宗廟と
会同とは諸侯にあらずして如何せん。赤これが小相たらば孰か能くこれが大相と為らん。....
「新撰組」より 著者:服部之総
な尊攘派で、国学者や神主やを中心に、軽格士族が多く組織されていた。ところで肥後に
会同した清河その他に、薩藩左派の抬頭を報じてやがて薩藩極左派と連絡できる素因をつ....
「三国志」より 著者:吉川英治
戦の誘文を発しておいた。 秋天将にたかし。 われ淮水に向って南下す。 乞う途上に
会同せられよ。 檄によって劉玄徳は、関羽張飛などの精猛をひきつれて、予州の境で....
「三国志」より 著者:吉川英治
抜いて、高く掲げ、 「無礼なり、魏延、劉封、ここは鴻門の会ではない。われら宗親の
会同に、なんたる殺伐を演ずるか。退がれっ、退がれっ」と叱った。 劉璋も、家臣の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
したとあれば、よも、ただの配所検分などではあるまい。 出雲の塩冶高貞が、そこへ
会同したというのもおかしい。――さきに国分寺の柵守から解任された宮方の一人富士名....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
んな盛観は、分流の家々にとっても、初めてのことだ。ご先祖の意にもとづく、ふしぎな
会同ではあるまいか」 と、みな言いあった。 それはそのまま高氏の気もちでもあ....