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会津
「会津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
会津の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
囲戦で倒れた。幸田八五郎は、薩の大山格之助の知遇を得て薩軍に従うていたが、これは
会津戦争で討死した。 久保三之丞は、明治元年の暮近く京都で病死した。 残った....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
家には僕より二つ三つ上のを頭に四、五人男の子がいた。その一番上の太郎というのは、
会津の中学校にはいっていて、滅多に家には帰らなかった。その次の次郎がちょうどいい....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
けて行ったが、その途中に少し寄り道をする用があるので、日蔭町の方へ廻ってゆくと、
会津屋という刀屋の前に一人の若い武士が腰を掛けて、なにか番頭と掛け合っているらし....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
十年前の秋、この古い墓のまえに額づいた時に私の頭に湧き出した産物である。この墓と
会津の白虎隊の墓とは、わたしに取って思い出が多い。その後、私はどう変ったか自分に....
「天守物語」より 著者:泉鏡花
)ものも案内。 薄 どうれ。(壁より出迎う)いずれから。 朱の盤 これは岩代国|
会津郡十文字ヶ原|青五輪のあたりに罷在る、奥州変化の先達、允殿館のあるじ朱の盤坊....
「亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
この名がある。また当時よく常用されたものに蝋台がある。これは蝋燭を灯すに用い多く
会津で出来た、いわゆる絵ローソクを使ったもので、今日でも東本願寺など浄土宗派のお....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
出入りしている者を一々内偵しましたが、どうも取り留めた証拠も挙がりませんでした。
会津の方から相原医師の親戚が出て来て、ともかくもこの事件の落着するまでは相原家を....
「蜘蛛の夢」より 著者:岡本綺堂
頃四十一の前厄だと聞いていました。名は源造といいまして、やはり四谷通りの伝馬町に
会津屋という刀屋の店を出していましたので、わたくしの家とは近所でもあり、かたがた....
「慈悲心鳥」より 著者:岡本綺堂
て今度はどっちの方角だ。」と、わたしも笑いながら訊いた。 「久しぶりで猪苗代から
会津の方へ行ってみようと思っている。途中で宇都宮の友達をたずねて、それから……。....
「遠野の奇聞」より 著者:泉鏡花
峰づたいに日光辺まで、のさのさと出で来らむとする概あり。 古来有名なる、岩代国
会津の朱の盤、かの老媼茶話に、 奥州
会津|諏訪の宮に朱の盤という恐しき化物ありけ....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
治座は十月、歌舞伎座では十一月興行に、いずれも新作の戦争劇を上演した。明治座の「
会津※明治組重」は竹柴其水の作、維新の
会津戦争から今度の日清戦争までを連続して脚....
「春の修善寺」より 著者:岡本綺堂
十年前の秋、この古い墓のまえに額ずいた時に私の頭に湧き出した産物である。この墓と
会津の白虎隊の墓とはわたしに取って思い出が多い。その後、私はどう変ったか自分には....
「影」より 著者:岡本綺堂
初めは東北地方へ出かけて、那須の方へ行きました。それから福島の飯坂へ行って、
会津へ行って……。それから越後へ出て、北国の方をまわって……。東海道を汽車で帰っ....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
功を収め、それに倣いて日清戦争劇が各劇場に続々上演せらる。 ○十月、明治座にて「
会津※明治組重」という日清戦争劇を上演。 ○十一月、歌舞伎座にて日清戦争劇「海陸....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
究に要する若干の図書を買い集めたのであった。 明治の末から大正の初めにかけての
会津若松歩兵第六十五連隊は、日本の軍隊中に於ても最も緊張した活気に満ちた連隊であ....