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会稽
「会稽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
会稽の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
》を知りて、毒《あしきもの》を与えて殺す」と〉。似た譚が支那にもある。いわく、〈
会稽余姚《かいけいよよう》の人|銭祐《せんゆう》、夜屋後に出で、虎の取るところと....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の尾の上に立って踊りつ舞いつ行き過ぎた。この年、山南の節度使の陽守亮が敗滅した。
会稽山の下に※冠があって、長さ一尺あまり、胴まわり五、六寸。これに撃たれた者はか....
「虎媛」より 著者:田中貢太郎
す都へ往って、其処で家を借りて落着き、進士の試験を受けてみると、うまく及第して、
会稽の令に任ぜられた。で、珊珊を伴れて赴任したが、非常に成績があがったので、翌年....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
期日と同日まで延期されたのであるから、断行派が二年の後を俟《ま》ち、捲土重来して
会稽の恥を雪《すす》ごうと期したのは尤も至極の事である。また延期派においては、既....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
たままで穴の外へ跳り出した。こうして、彼は無事に生き還ったのである。 烏龍
会稽の句章の民、張然という男は都の夫役に徴されて、年を経るまで帰ることが出来なか....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の亀鑑として伝えられている。 それから九百余年の後、清の康煕年間のことである。
会稽の徐藹という諸生が年二十五で※という病いにかかった。腹中に凝り固まった物があ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
にやと。『後漢書』東夷列伝に、〈倭《わ》韓の東南大海中にあり云々、その地おおむね
会稽《かいけい》東冶《とうや》の東にあり、朱崖|※耳《たんじ》と相近く、故にその....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
《な》りて初め門を出でず、呉中の諸強族これを軽んじ、すなわち府門に題していわく、
会稽《かいけい》の鶏は啼く能わずと。賀聞きてことさらに出で行き、門に至りて反顧し....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
れぬ。御存知の方は教示を吝《おし》むなかれ。 陶淵明の『捜神後記』上にいわく、
会稽句章の民、張然、滞役して都にあり、年を経て帰り得ず、家に少婦ありついに奴と私....
「五通」より 著者:田中貢太郎
のを待って来た。そのうちに二、三ヵ月たった。一家の者は皆生きた心地がしなかった。
会稽に万という姓の男があった。それは邵の母がたのいとこであったが、強くて弓が上手....
「岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
。 こうして天宝元年となった。 この時李白四十二歳、詩藻全く熟しきっていた。
会稽の方へ出かけて行った。 ※という道士がいた。 二人はひどくウマが合った。....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
を以て仙人と見なしたものである。これについて狩谷氏は箋注に神仙伝を引いて、 厳清
会稽人、家貧常於炭者誤。 と弁じてあるが、それにしても貧乏な炭焼が神仙に近づいて....
「法然行伝」より 著者:中里介山
をうけて死に瀕《ひん》する時、勢至丸に向って云うことには、 お前はこのことから
会稽の恥をおもい敵人を怨むようなことがあってはならぬ。これというのも偏《ひとえ》....
「三国志」より 著者:吉川英治
じい挑戦ぶりにふるえあがって、 「単独で戦うのは危険だ」と、考えた。 ひとまず
会稽(浙江省・紹興)へ退いて、浙江省の諸雄をたのみ、策を立て直そうと、ひどく弱気....
「三国志」より 著者:吉川英治
なく、上使を呉へ送って後継者の孫権に恩命をつたえた。 すなわち孫権を討虜将軍、
会稽の太守に封じ、また張紘には、
会稽の都尉を与えて帰らせた。 彼の選んだ方針と....