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伝教大師
「伝教大師〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
伝教大師の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
さまくさぼだい》の仏達を埋め尽くして、森々《しんしん》と半空に聳《そび》ゆるは、
伝教大師《でんぎょうだいし》以来の杉である。甲野さんはただ一人この杉の下を通る。....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
は万人の味わうべき何ものかがあると存じます。「一|隅を照らすものを国宝となす」と
伝教大師はいっていますが、この国宝こそ、今日最も要求されているのです。 「聡明叡....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
三諦を、不見《みざる》、不聴《きかざる》、不言《いわざる》に比したるを猿に表して
伝教大師《でんぎょうだいし》三猿を創《はじ》めたという。 しかれども一八八九年....
「連環記」より 著者:幸田露伴
る。伝説には此人一乗要訣を撰した時には、馬鳴菩薩竜樹菩薩が現われて摩頂|讃歎し、
伝教大師は合掌して、我山の教法は今汝に属すと告げられたと夢みたということである。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
答えましたところが、里の人がわたくしを拝みました。それでは、もしや、あなた様は、
伝教大師《でんぎょうだいし》の御再来ではございませんかといって、この弁信を伏し拝....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ょ》」と「東国高僧伝」とには次の如く要領が記されてあるのであります。 「安然は
伝教大師の系族なり、長ずるに及び、聡敏《そうびん》人に邁《すぐ》れ、早く叡山に上....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の話に、 「上方《かみがた》から東国への道は、この辺が祖道になるのだ。大同年中に
伝教大師が衆生化導《しゅじょうけどう》のためとて東国へ下る時に、上神坂越《かみこ....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
があるという。鶴見はまだ見ないが、泡鳴がそれについて一度語ったことを覚えている。
伝教大師の時代まで遡るとすれば、その渡来も随分古いものである。しかしその割に世に....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
じゃ。叶わぬ節には食《くら》いついてくれる」
八郎太は、元気のいい声であった。
伝教大師の廟の石に凭れていた一人が、身体を立てて
「あれは?」
と、いって、下....
「親鸞」より 著者:三木清
白法隠滞して、おほく諍訟あらん。すこしき善法ありて堅固なることをえん、と。」わが
伝教大師の作と考えられた『末法燈明記』もこの説を採っており、『教信行証』に引用さ....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
われわれ忘れてはならない人で、奈良の興福寺から留学した霊仙法師、これが弘法大師、
伝教大師などと一緒に入唐した、若いのに偉かってシナ学僧の上座に立ちて訳場の首席で....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
ときも、初めはやはり秦人が祭ったので、これは後に女婿鴨県主家に譲ったのだとある。
伝教大師が比叡山を拓くや、これも地主神たる大山咋神を山王としてこの山に祭る。弘法....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
台大師の天台宗の教義とか、達磨大師の禅法とかいうものであります。日本では平安朝の
伝教大師の日本天台、弘法大師の真言密教をはじめ、鎌倉期になって法然、親鸞、日蓮、....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
社が仏誕生と関係があったことは未だ確かでなく、近江輿地志略の如きはこの社の祭神を
伝教大師の母なりと言い、この日は女子此処まで登り拝し、それより七月八日まで一夏の....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
、矢を作る、弓弦を作る。或いは靴を作ったので、「祇園の靴作り」とも云われていた。
伝教大師が支那から靴を作る法を伝えて、これを彼らに教えたと云われている。これはも....