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「佃島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

佃島の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
くちきょうじょう》と強迫兇状《ゆすりきょうじょう》がありました故其の者は二人とも佃島《つくだじま》へ徒刑になりました。上方者は自分の物だと言って他人の物を引入れ....
三角形の恐怖」より 著者:海野十三
八年前の今日のことだ。いつもはわざと住居から遠くはなれて秘密な恋を味い喜んだあの佃島で私ははっきり切れ話を持ち出した。時子の慨きがどんなであったか、それは想像に....
河明り」より 著者:岡本かの子
の台を崩して、その土で埋めて慥えたものである。それより七八十年前は浅草なぞは今の佃島のように三角洲だった。 こういう智識もその若い学者から学ぶところが多かった....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
、(肥後熊本藩主)大森村お堅め。 一、松平|大膳太夫様、(長州藩主)鉄砲洲および佃島。 一、松平|阿波守様、(阿州徳島藩主)御浜御殿。 一、酒井雅楽頭様、(播州....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
深川八幡、神田明神の三つで、他は赤坂の氷川神社、牛込の築土八幡、四谷の須賀神社、佃島の住吉神社、芝の愛宕神社、浅草の浅草神社すなわち三社様など、数えたらまだ幾ら....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
一嘗めにして、浜町、霊岸島、新堀から鉄砲洲に移って、百余艘の舟を焼いたがために、佃島、石川島に燃え移り、それから深川に移り、牛島、新田にまで往った。その火は翌日....
日本文化私観」より 著者:坂口安吾
で心を改め大酒飲みになった訳でもないのだが。 銀座から築地へ歩き、渡船に乗り、佃島へ渡ることが、よく、あった。この渡船は終夜運転だから、帰れなくなる心配はない....
疫病神」より 著者:田中貢太郎
長谷川時雨女史の実験談であるが、女史が佃島にいた比、令妹の春子さんが腸チブスに罹って離屋の二階に寝ていたので、その枕頭....
深川女房」より 著者:小栗風葉
新しいのと上さんの世辞のよいのとで、その界隈に知られた吉新という魚屋がある。元は佃島の者で、ここへ引っ越して来てからまだ二年ばかりにもならぬのであるが、近ごろメ....
三枚続」より 著者:泉鏡花
ゅう附け廻すんだそうですから、私あ堪らなくなって、舟賃を一銭出して、川尻を渡って佃島へ遁げました。 佃島には先生、不孝者を持って多いこと苦労をする婆さんが一人....
式部小路」より 著者:泉鏡花
いて出た蚰蜒じゃありません。十月腹を貸した母親がありましてね。こりゃ何ですって、佃島の弁天様の鳥居前に一人で葦簀張を出しているんですって。 冬枯れの寒さ中毒で....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
く支那らしき趣《おもむき》を覚えしむ。例へば東都駿河台《とうとするがだい》の図、佃島《つくだじま》の図、あるひは武州多摩川《ぶしゅうたまがわ》の図の如き、一見|....
日和下駄」より 著者:永井荷風
こ》も流《ながれ》なくて口惜《くちお》し。住吉《すみよし》を移奉《うつしまつ》る佃島《つくだじま》も岸の姫松の少《すくな》きに反橋《そりばし》のたゆみをかしから....
深川の唄」より 著者:永井荷風
橋の上に立ち迷う。これだけは以前に変らぬ眺めであったが、自分の眼は忽《たちま》ち佃島《つくだじま》の彼方《かなた》から深川へとかけられた一条《ひとすじ》の長い橋....
芝、麻布」より 著者:小山内薫
通うようになってからであった。 私が下町の放浪生活をやっている時代であった。新佃島の海水館という下宿に、ただ一人で寝起をしていた頃、或日、永井荷風君から電話が....