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「但馬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

但馬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
ずにいた。」 「つまりまず賊中の豪なるものでございましょうな。なんでも以前は荒尾但馬守様《あらおたじまのかみさま》のお供押《ともお》しか何かを勤めたことがあるそ....
古千屋」より 著者:芥川竜之介
打ち死した。 四月三十日の未《ひつじ》の刻《こく》、彼等の軍勢を打ち破った浅野但馬守長晟《あさのたじまのかみながあきら》は大御所《おおごしょ》徳川家康《とくが....
単独行」より 著者:加藤文太郎
スズ竹の中を東方へ下って川に出ました。この川も以前の川も溶岩の中を流れています。但馬のスキー場|神鍋山と同じ頃か、もっと古い火山でしょう。裾野を見ても火山であっ....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
歳で、正に武将の花と云ってよかった。 正月二十六日の午前二時、宗茂の軍は、十時但馬、森下備中の二士に銃卒各数十人を率いさせて斥候に出した。この時坡州の李如松も....
島原の乱」より 著者:菊池寛
江の勘右衛門以下千二百人、大矢野の甚兵衛、大矢野の三左衛門以下二千五百人、本渡の但馬、楠浦の弥兵衛以下二千人、上津浦の一郎兵衛、下津浦の治右衛門、島子の弥次兵衛....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
家を嗣がしめ播磨国を賜った。勿論此の裏面には勝元が躍って居るのである。山名宗全、但馬に在って是を聞き、 「我軍功の封国何ぞ賊徒の族をして獲せしめんや」 と嚇怒....
赤い玉」より 著者:楠山正雄
れどそこの海からは、どうしても日本の国へ入る望みがないので、ぐるりと外を回って、但馬国から上がりました。そしてしばらく暮らしているうちに、土地の人をお嫁にもらっ....
春山秋山」より 著者:楠山正雄
一 むかし、但馬国におまつられになっている出石の大神のお女に、出石少女という大そう美しい女神....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
柳生侯も今夜はここへおいでと見える。大和正木坂で一万石、剣道だけで諸侯となられた但馬守様は剣の神様、えらいお方がおいでになるぞ」 紋太郎いささか胆を潰し表門の....
剣侠」より 著者:国枝史郎
において月見の宴が催され、家中の重臣や若侍が、そのお屋敷に招かれていた。 竹腰但馬、渡辺半左衛門、平岩|図書、成瀬|監物、等々の高禄の武士たちは、主人東市正と....
おせん」より 著者:邦枝完二
、考げえりゃ考げえるほど、このまま担いでるな、勿体ねえなァ」 駕籠はいま、秋元但馬守の練塀に沿って、蓮の花が妍を競った不忍池畔へと差掛っていた。 三 ....
古事記」より 著者:太安万侶
宿禰の王が、カハマタノイナヨリ姫と結婚して生んだ子がオホタムサカの王で、この方は但馬《たじま》の國の造の祖先です。上に出たタケトヨハヅラワケの王は、道守の臣・忍....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
然として付近のものからは、特殊民の待遇を受けている例がないでもありません。播磨・但馬などにも、この例があるそうでありますが、私が最近調査しましたのは、日向の佐土....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
た旧家で、御紋付の御用絵符や、御紋付の提灯を持伝えているそうである。同郡三宅村上但馬の旧家浅田源衛門の子孫も、禁裏御用の絵符を伝えているという。享保四年の「弾左....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
も「穢多」とも書いてない。 同国 同郡市場村大字幾地字算所縄手(「山荘太夫考」)但馬 朝来郡与布土村大字迫間字産所(同上) 伯耆 東伯郡に一ヶ所、西伯郡に一ヶ所....