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住友
「住友〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
住友の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「単独行」より 著者:加藤文太郎
候も恢復の見込みがないので、すぐ出発することを見合せた。やがて夜も明けた七時頃、
住友の人々が吹雪をついて登ってきたので、力を得てその後に従い、なんなく吹雪に狂う....
「楢重雑筆」より 著者:小出楢重
残っているので愉快です。 少し方向を転じて島の内へ来ると、長堀川の板屋橋に俗に
住友の浜といって、市の今は中央であって、なおかつ昼間でも投身する者があるというく....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
航路の船室へ運んで行ってくれる。 今は空家となっているらしいが板屋橋の南側には
住友邸の西洋館がある。その附近は大阪の中心地でありながら今なおかなりの閑静な場所....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
円として二十六万円、すなわち七十倍という躍進ぶりである。 また同じ真上氏は現在
住友銀行支店となっている場所を、三十八年に一坪十円で買ったところ、五ヶ月後には十....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
もの」 と言っていた。 兄の信一は歌はつくらなかった。彼はしばらくして尾道の
住友銀行に勤めるようになった。彼は※の店へもよく立ち寄るようになった。快活で人に....
「名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
、今は、覚王山のほとりに移されて、視野に入るものは、第一銀行支店、三井銀行支店、
住友ビル、名古屋銀行、明治銀行など――考へて見れば、拝金宗の寺院ばかりであるが―....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
の方がずっとよい。 学生時代のことであるが、福澤先生の四番目のお嬢さんで、後に
住友の重役の志立鐵次郎氏の奥さんになったお瀧さんという人を健康美に輝くすばらしい....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
分らなくなりますから、今日は詳しくこの事についていい置こうと思います。 大阪の
住友家の依頼で、明治二十三年四月に楠公像の製作は美術学校が引き受けてやり出したの....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
校庭内に組み立て、時の文部大臣並びに学校に関係ある諸氏の一覧に供したのであるが、
住友家から学校へ製作を依嘱したのが明治二十三年。着手したのが翌年の四月ですから、....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
さて、楠公像は、この原型を同じ美術学校の鋳金科教授岡崎雪声氏が鋳造致して
住友家へ引き渡したことでありました。木型はその後大阪の博覧場というのに飾ってあり....
「赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
分沢山の日本の会社銀行その他がある。日本郵船、正金銀行、台湾、三菱、朝鮮、三井、
住友等々の銀行や、日清、大阪、三菱等の汽船会社があるのさ。 が、こんな堅苦い資....
「素人製陶本窯を築くべからず」より 著者:北大路魯山人
べく述べたてて翁の廃窯に未練なからしめんと考えているのである。それには御迷惑でも
住友寛一氏の製陶失敗例も出ようし、頼母木桂吉氏の九谷窯? の話も自然出さないわけ....
「金山揷話」より 著者:大鹿卓
子段へ踏み出したと思うと足をすべらして、地響うって転り落ちた。 彼等鉱山師達は
住友へ鉱区を譲渡したのだった。
住友の当事者は、山代金を渡すとき、北海道まで大金を....
「空中征服」より 著者:賀川豊彦
心持ちで、市庁舎の窓から、大阪の西の空を見てみると、野田、春日出の方面において、
住友伸銅所の太い三本の煙筒から、そして、春日出の電燈会社の太い煙筒からもうもうと....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
なっていたころ、私が全く予期しなかった奉公話が持ちあがった。 娘のころ、大阪の
住友家に奉公に出ていた母はよく『男の子は上方へ奉公にやらな出世しやへん』と口ぐせ....