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佐々木小次郎
「佐々木小次郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
佐々木小次郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「巌流島」より 著者:直木三十五
久が出て徳川中世の武道を風靡《ふうび》した一刀流の源を造っている。この間にあって
佐々木小次郎も富田門に学んで、自ら師より許されて岩流の一派を開いたその俊才の一人....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
アンポンタンとおなじくらいだから初舞台から知ってるわけだ。新富座の『和田合戦』の
佐々木小次郎だったか、まんまるく大福餅《だいふくもち》のようなのを覚えている。そ....
「青春論」より 著者:坂口安吾
大事だと言って、その形式主義を非難したのである。 これとほぼ同じ見解の相違が、
佐々木小次郎と武蔵の間にも見ることが出来る。 小次郎は元来富田勢源の高弟で、勢....
「安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
ま天流斎の頭を割ってしまったので、これを十字打ちと伝えている。ちょうど宮本武蔵と
佐々木小次郎が巌流島で勝負を決したのと同じころの出来事である。 又七郎は諸方か....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
白く、形あくまで整然たるヘルプ紳士としては、ヨーロッパの貴顕ほどの柄はなくとも、
佐々木小次郎から武骨を取りのぞいた程度の柄はもたせたいものであった。もっとも、秋....
「勝負師」より 著者:織田作之助
りたいと思ったのだ。いや私は坂田の中に私の可能性を見たのである。本当いえば、私は
佐々木小次郎の自信に憧れていたのかも知れない。けれども
佐々木小次郎の自信は何か気....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
越前宇坂之庄浄教寺村 富田入道勢源門流 後学 鐘巻自斎
佐々木小次郎殿 とあって、その後に別な紙片を貼り足したと思われるところには「奥....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
のたもとで、朱実と囁いていた武蔵へ向い、人をばかにしたような大笑いを捨てて去った
佐々木小次郎であった。
「なんだい、おじさん」
一度でも顔を見ているだけ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
して……) と、彼は木連格子に倚りかかりながら、膳所の色街でさんざいわれた――
佐々木小次郎の忠言を今、心のうちで呼び返していた。 今になって思いあたる―― ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
いつぞや、岩間角兵衛どのの、伊皿子のお住居へ招かれた節、同じ議論がわき、居合せた
佐々木小次郎と申す、その家の懸り人から聞いたことばでございます。――しかし、てま....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ひと修行せんものと、身許をかくして住み込んだわけ。――お恥かしゅう存じます」 「
佐々木小次郎とやらのために、小野先生が敗れたということは、その小次郎が吹聴しつつ....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
おける同家の士との試合。名古屋城下の柳生兵庫とのこと。そして、豊前小倉での、巌流
佐々木小次郎との試合などは、史実をむねとする古くからの研究者に、確認されている事....
「小説のタネ」より 著者:吉川英治
はありません。また「むさし」を「たけぞう」と読ましたのも僕の創作といっていいし、
佐々木小次郎も、「武芸小林」そのほかの小伝記には、巌流島の時、六十何歳の老人であ....