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佐久
「佐久〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
佐久の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「星座」より 著者:有島武郎
ずら』
『げえもねえことを……象山先生より偉くなったらどうする気だ』
俺の方では
佐久間象山より偉い人間は出てこようがないとしてあるんだ。けれどもだ、おやじは俺が....
「白蟻」より 著者:小栗虫太郎
原の前方あたりで、小法師岳の裾を馬蹄形《かなぐつがた》に迂廻してゆき、やがては南
佐久の高原中に消えてしまうのであるが、その小法師岳は数段の樹相をなしていて、中腹....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ょう」 みんなもばらばら起っておていの姿を見付けに行った。おていは今年九つで、
佐久間町の大和屋という質屋の秘蔵娘であった。踊りの筋も悪くないのと、その親許が金....
「食魔」より 著者:岡本かの子
へ彼は来ると、裸麦の匂いや、鶫の腸にまで染みている木の実の匂いがひとりでにした。
佐久間町の大銀杏が長屋を掠めて箒のように見える。 彼はこの横町に入り、トンネル....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
った。しかし大塚の話をきいて、今井も顔の色を悪くしました。 今井の屋敷の主人は
佐久馬と云って、今年は四十前後の分別盛り、人間も曲った人ではありませんでしたが、....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
第四陣 柴田 勝家├(兵各三千) 第五陣 森 可成│ 第六陣
佐久間信盛┘ 本陣 信長(兵五千余) 横山城への抑え 丹羽....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
千代、天文五年十六歳で将軍足利義晴より諱字を賜り、晴信と称した。この年父信虎信州
佐久の海ノ口城の平賀源心を攻めたが抜けず、囲を解いて帰るとき、信玄わずか三百騎に....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
、準備を全くととのえてあった。すなわち、 鷲津砦 織田信平 四五百人 丸根砦
佐久間|盛重 同右 丹下砦 水野忠光 同右 善照寺砦
佐久間|信辰 同右 ....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
に、次男北畠信雄は稲葉一徹属して御堂山に、夫々陣を布いた。更に川上村茶臼山には、
佐久間|右衛門尉信盛、池田庄三郎信輝、滝川左近将監一益、丹羽長秀なんぞの勇将が控....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
長臣柴田|修理亮勝家は、上杉景勝を討つべく、佐々|内蔵助成政、前田又左衛門利家、
佐久間|玄蕃允盛政、及び養子伊賀守勝豊以下を率いて、越中魚津に在陣中であった。本....
「木の子説法」より 著者:泉鏡花
ぶしいほどに日が照ります。甘い涙の飴を嘗めた勢で、あれから秋葉ヶ原をよろよろと、
佐久間町の河岸通り、みくら橋、左衛門橋。――とあの辺から両側には仕済した店の深い....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
、小説家よ!……天晴れ、と一つ煽いでやろうと、扇子を片手に、当時文界の老将軍――
佐久良藩の碩儒で、むかし江戸のお留守居と聞けば、武辺、文道、両達の依田学海翁が、....
「山の湯雑記」より 著者:折口信夫
。 秋の末になると閉めて帰り、春深く雪どけの頃、宿主は戻って来ると言った。信州の
佐久の奥からやって来るのだと言う。そう言えば、此辺の景色が、千曲川の上流と何処か....
「拷問の話」より 著者:岡本綺堂
らゆる讃美の声々をそのうしろから浴せかけた。 (この話は北町奉行所の与力であった
佐久間長敬翁の教によるところが多い。ここにそれを断っておく。筆者)....
「県歌 信濃の国」より 著者:浅井洌
一 信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し 松本伊那
佐久善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事....