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「何処〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

何処の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
んずう》を較べようなどは、近頃以て奇怪至極《きっかいしごく》じゃ。思うにその方は何処《いずこ》かにて金剛邪禅《こんごうじゃぜん》の法を修した外道《げどう》の沙門....
路上」より 著者:芥川竜之介
気もしない事はない。」 「相不変《あいかわらず》君はのんきだな。また認識の根拠は何処《いずく》にあるかとか何とか云う問題を、御苦労様にも考えていたんだろう。」 ....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
ことは出来ない。何時か一度は冷灰のように、美しい光を失ってしまう。のみならず死は何処へ行っても常に生を孕《はら》んでいる。光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさ....
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
より、上人《しょうにん》御自身さえ舌を捲かれたそうでござる。」そこで、「そなたは何処のものじゃと御訊《おたず》ねあったれば、一所不住《いっしょふじゅう》のゆだや....
溺れかけた兄妹」より 著者:有島武郎
うです。 それから五、六年の間はその若者のいる所は知《し》れていましたが、今は何処《どこ》にどうしているのかわかりません。私たちのいいお婆様はもうこの世にはお....
惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
身を痛感する。 一人の旅客が永劫の道を行く。彼を彼自身のように知っているものは何処にもいない。陽の照る時には、彼の忠実な伴侶はその影であるだろう。空が曇り果て....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
も皆逞ましい駿馬ばかりで、毛並みのもじゃもじゃした、イヤに脚ばかり太い駄馬などは何処にも見かけないのでした。 『私の若月も爰に居るのかしら……。』 そう思い乍....
トロッコ」より 著者:芥川竜之介
れへ行った。トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、その外は何処を見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番|端にあるト....
飯田蛇笏」より 著者:芥川竜之介
し出した。それでも蛇笏には注意していた。或時句作をする青年に会ったら、その青年は何処かの句会に蛇笏を見かけたと云う話をした。同時に「蛇笏と云うやつはいやに傲慢な....
「菊池寛全集」の序」より 著者:芥川竜之介
む巨人のものである。 が、容赦のないリアリズムを用い尽した後、菊池は人間の心の何処に、新道徳の礎を築き上げるのであろう? 美は既に捨ててしまった。しかし真と善....
近藤浩一路氏」より 著者:芥川竜之介
山水となるのは当然である。 近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆ....
良夜」より 著者:饗庭篁村
晴よき返答と思いて答えたり。巡査は予の面を一種の眼光をもって打眺め、「そも御身は何処の者にて姓名は何と言わるる」と言い言いなお身体容貌を眺め下したり。「何のため....
夢の如く出現した彼」より 著者:青柳喜兵衛
、探偵小説なるものを芸術的に、文学的に、グウとレベルを引上げたのである。つまり、何処から見ても立派な芸術的文学とまで発展させていたのであるから、これまでの探偵小....
三人の百姓」より 著者:秋田雨雀
では、伊作の最初に見付けた時は、赤児はよく眠っていたということでした。 「一体|何処の子供だべいな? いい顔つきっこをしてるのにな!」 多助は赤児の顔を見て、....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
い。江戸二百年の文明に疲れた生活上の落伍者が比較的多勢住んでいた町である。従って何処を歩いて見ても、日本橋や京橋のように大商店の並んだ往来などはなかった。若しそ....