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余年
「余年〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
余年の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
我我の自己欺瞞は世界の歴史を左右すべき、最も永久な力かも知れない。
つまり二千
余年の歴史は眇《びょう》たる一クレオパトラの鼻の如何に依《よ》ったのではない。寧....
「雛妓」より 著者:岡本かの子
人間で、人を充たすように出来てる。やっと判った」とその当時言った。 それから十
余年の歳月はしずかに流れた。逸作は四十二の厄歳も滞りなく越え、画作に油が乗りかけ....
「地球要塞」より 著者:海野十三
」 大西洋をはさんで、東に欧弗同盟国、西に汎米連邦――この二つの国家群は、二十
余年以来睨み合いをつづけているのであった。 「そうか。今度は、いよいよ本当に始ま....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
である。是を完成し終った後、先生は二月一日突然発病し僅々三十五時間で逝いた。二十
余年に亘り、斯学の為めに心血を灑ぎ、あまりの奮闘に精力を竭尽して斃れた先生は斯学....
「故郷」より 著者:井上紅梅
わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十
余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中で故郷に近づくに従って天気は小....
「恒藤恭氏」より 著者:芥川竜之介
かなきみをむすべるもの もう一度新たに書き出せば、恒藤は又論客なり。僕は爾来十
余年、未だ天下に彼の如く恐るべき論客あるを知らず。若し他に一人を数うべしとせば、....
「備前天一坊」より 著者:江見水蔭
岡捌きの中に編入しているのは、素より取るに足らぬけれど、それよりもズッと前、七十
余年も遡って万治三年の頃に備前の太守|池田新太郎少将光政の落胤と名乗って、岡山の....
「兄妹」より 著者:岡本かの子
――二十
余年前の春 兄は第一高等学校の制帽をかぶっていた。上質の久留米絣の羽織と着物が....
「中支遊記」より 著者:上村松園
上海にて 仲秋まる一ヵ月の旅であった。六十有
余年のこの年まで十日以上にわたる旅行はしたことのない私にとって、よく思いたったも....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
与奪の権を握れる、はたかれ神聖なる記者として、その意見に服し、その説に聴くこと十
余年。いまだこの日のごときを知らなかった。三面|艶書の記者の言、何ぞ、それしかく....
「岩波文庫論」より 著者:岩波茂雄
持を得て今は経済的にも成績を上げるようになった。 岩波文庫は刊行以来わずかに十
余年、未だ千点に達しない。レクラム文庫が三代にわたり一万に近い点数を刊行するに対....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
もかえって偉大であったかも知れない。時代の先駈者としての二葉亭の名誉は今から三十
余年前にツルゲーネフを飜訳した功績だけでも十分承認しなければなるまい。 『浮雲』....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
気ありて存す。その気発しては愛国の精神となり、凝りては尊王の忠魂となり、二千五百
余年来、日本国をして東海の上に旭日とともに光輝を四方に放たしめたるは、全くこの元....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
らえたもので、私はかくあらねばならぬと念じた。 まことに演説こそは大衆運動三十
余年間の私の唯一の闘争武器であった。私は数年前「わが言論闘争録」という演説集を本....
「『火星兵団』の作者の言葉」より 著者:海野十三
ると申してもよろしいのです。わが日本は、幸いにして、御稜威のもとに、建国二千六百
余年の光輝ある国史をもち、軍人は忠勇無双、銃後国民も亦すこぶるりっぱです。この点....