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「余戸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

余戸の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
字と絶交し一同社費を納めず、監獄へ入れると脅すも、入れるなら本望なり、大字民七十余戸ことごとく入獄されよと答え、祭日には多年恩を蒙りし神社を潰すような神職は畜生....
紅黄録」より 著者:伊藤左千夫
なかった。それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人となられた。一村二十余戸八十歳以上の老齢者五人の中の年長者であるということを、せめてもの気休めとして....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
余は何れも街道の南北一里余の間にあり、粕谷が丁度中央で、一番戸数の多いが烏山二百余戸、一番少ないのが八幡山十九軒、次は粕谷の二十六軒、余は大抵五六十戸だと、最早....
火薬船」より 著者:海野十三
つえを食ったサイゴン港こそ、悲惨の極であった。沈没艦船三十九隻、焼失家屋五百八十余戸、死者三千人、負傷者は数しれず、硝子の破片で眼がみえなくなった者が、三百余人....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ろう。稲妻というものの凄《すさま》じい美しさをあれだけ発揮すれば。床上浸水が六百余戸。床下三万余戸。旱バツの地方へも降ったのならよかったと思いますけれども、これ....
上野」より 著者:永井荷風
、酒店魚商ヲ首トシテ浴楼《ユヤ》箆頭肆《カミユヒドコ》ニ造《イタ》ルマデ幾ド一千余戸ニ及ベリ。総テ這地《コノチ》ノ隆盛ナル反ツテ旧趾ノ南浜新駅《シナガハシンジユ....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
の街路五、六丁にわたれる小都会なり。人口一万五千人ありという。しかしてホテル四十余戸、酒舗また四、五十軒を算す。もってその新開地たるを知るべし。一時はこの界外に....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
けれども、思うに普通の郷の仲間に這入らず、余った村落と云う事ででもありましょう。余戸の説明をした古文を見ますと、京都の栂尾の高山寺に伝わっていた「和名抄」という....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
ておったのがその起原であったかと察せられるのである。これらの島や鴨河原へ、餌取や余戸の本職を失ったものが流れ込んで、所謂河原者をなし、その或る者はエタと呼ばれ、....
編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
記録を尋ね文書を探って、多少得るところあるを自覚し、十月京都大学読史会大会で、「余戸」に関する研究の一端を発表した。 本年一月から本誌を発行することになったの....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
わち農民であったのである。また「タミ」の語は、本来「田部」であったと解せられる。余戸を後世時に余目に訛り、「田部井」と書いてタメガイと呼ぶ姓のあるように、田部が....
雷門以北」より 著者:久保田万太郎
七十余間を仲店といふ。道幅五間余を全部石にて敷きつめ、両側に煉瓦造りの商店百三十余戸あり。もとこの地は浅草寺支院のありしところにて左右両側各六院ありき。その仁王....