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「作州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

作州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黄村先生言行録」より 著者:太宰治
対の意見をお持ちの学者もあるかも知れません。別段、こだわるわけではありませんが、作州の津山から九里ばかり山奥へはいったところに向湯原村というところがありまして、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
つ》の堂上の額に題して去った。 東海、東山、西国三十三番、大阪より播州に進み、作州に入って津山城下より下津井に下って船により、四国遍路を済ませて、伊予の大洲《....
馬妖記」より 著者:岡本綺堂
一 M君は語る。 僕の友人の神原君は作州津山の人である。その祖先は小早川|隆景の家来で、主人と共に朝鮮にも出征して、....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
血し、忽焉易簀《こうえんえきさく》せられたのは惜しみてもなお余りがある。 君は作州津山の生れで、松平家の臣であった。明治三十九年(1906)七月に東京帝国大学....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の眉も必要以上に長く、きりっと眼じりを越えていた。 ――豊年童子や。 郷里の作州宮本村の者は、彼の少年の頃には、よくそういってからかった。眼鼻だちも手足も、....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
だけここを出て、独り暮しで土方でも何でもしたらいいじゃないか。おまえさんは、根が作州の田舎者、そのほうが生れ性に合っているのでしょ。何も無理にこの家にいてくれと....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
、時々、中国|訛りが交じるな」 「姫路じゃもの」 「ほ……。おれは美作だが」 「作州? ――」と、眼をすえて、 「してまた、作州はどこか」 「吉野郷」 「えっ。....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の宿怨をちょうどよく思い出して、武蔵の名を引きあいに出し、自分と彼とは郷里も同じ作州であるが、彼は自分の許嫁を奪って走り、郷土の者に対して顔向けのならない泥を家....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
よう共、御始末たまわりたく、途上の仁人とおやくにん様方へ、おねがい申上げおきそろ作州吉野郷士 本位田後家 すぎ 自分の骨の届け先にまで心が届いていた。 さて....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
右衛門宗矩でござる、お見知りおき下さい」 武蔵もまた、 「初めて御意を得ます。作州の牢人、宮本武蔵と申す者、何分、この後は御指導を」 「先頃、家臣木村助九郎か....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
左様。そのおはなしでふと思い出しましたが、あの頃、愚堂和尚の膝下にいたひとりで、作州牢人の宮本なにがしという年少の者がおりましたが、御老台には、御記憶はございま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
せ、あとの佐々木道誉は、残りの小人数で、まことの後醍醐の君を山輿に舁きまいらせ、作州街道をヒタ急ぎに、杉坂越えへ向っていたのでございまする」 「しまった」 五....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
く) 武蔵の生れたつい二年前は、秀吉の中国攻略が行われた年だった。武蔵の郷土、作州|吉野郷の竹山城下(現・岡山県|讃甘郡宮本村)は、浮田家に所属する一領地であ....
山の人生」より 著者:柳田国男
もなく、再び山中の生活に復ってしまったというのは哀れである。 明治の末頃にも、作州|那岐山の麓、日本原の広戸の滝を中心として、処々に山姫が出没するという評判が....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
り 何かこれには思い違いがあったことと思われますが、またこういう話もあります。作州|美野という村の白壁の池は、いかなる炎天にも乾たことのない物凄い古池で、池に....