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「侍中〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

侍中の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
、閻負涼《えんぶりょう》に使し※を以て王猛に比し並称す。秦主|苻堅《ふけん》猛を侍中とせし時猛※に譲れり、のち猛死し堅南晋に寇《こう》せんとす、苻融石越等皆|諫....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の上に奥深く通るのは余りに失礼でございます」と、崔は一応辞退した。 「お嬢さまは侍中の呉質というかたの娘御で、平陵の劉府君の奥様ですが、府君はさきにおなくなりに....
李陵」より 著者:中島敦
陵《りりょう》にとって蘇武《そぶ》は二十年来の友であった。かつて時を同じゅうして侍中《じちゅう》を勤めていたこともある。片意地でさばけないところはあるにせよ、確....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
やっと家族を養っていたので、旅などする時には家禄の前借をしたものである。また別に侍中の共有の貯蓄があって、それも貰うことになっていた。そういう次第であるから手を....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
を持って来て、汚れた手を洗えというと、老人は頭をふって「手水などが要るものか。稽侍中の血、洗う勿れじゃ。」という。わたしも『十八史略』ぐらいは読んでいたので、稽....
三国志」より 著者:吉川英治
対をさけぶ者もなかった。 董卓は、かくて、威圧的に百官に宣誓させて、また、 「侍中周※! ――」 と、いちいち役名と名を呼びあげて、その起立を見ながら厳命を....
三国志」より 著者:吉川英治
しさには、見劣りがされた。 弟の董旻に、御林軍の兵権を統べさせ、兄の子の董※を侍中として、宮中の枢機にすえてある。 みな彼の手足であり、眼であり、耳であった....
三国志」より 著者:吉川英治
天子に生れたろうか」 帝は、日夜、御涙の乾く時もなく沈んでおられた。 「陛下」侍中郎の楊※がそっとお耳へささやいた。 「李※には、まだ、真実の心がありそうです....
三国志」より 著者:吉川英治
いて長途の旅をなぐさめたりなどした。そしてまた如才なく朝廷に奏請して、彼のために侍中零陵の太守という官職を与えて帰した。 半月ほど滞在して、韓嵩が都を立つと、....
三国志」より 著者:吉川英治
ごとく歓呼した。 すると、また一人、雲箋に詩を記して立った者がある。東武亭侯|侍中尚書、鍾※、字は元常であった。 この人は、当代に於て、隷書を書かせては、第....
三国志」より 著者:吉川英治
は、曹操を尊んで、「魏王の位に即いていただこうじゃないか」と、寄々、議していた。侍中の王粲は、曹操の徳を頌した長詩を賦って、これを侍側の手から彼に見せたりした。....
三国志」より 著者:吉川英治
と、つぶやいた。 老龍ようやく淵に潜まんとする気運を観て、漢朝の廷臣や彼の侍中、尚書などの職にある一部の策動家のあいだに、この秋をもって、曹操を大魏皇帝の....
三国志」より 著者:吉川英治
眉を曇らせたが、なお将士の歓を興醒めさせまいと、何気ない態で杯をかさねていると、侍中の一士が、 「ただ今、趙雲の子|趙統と趙広が、二人して参りましたが、これへ召....
私本太平記」より 著者:吉川英治
といえなくもない。いずれにせよ、黒木の御所へ最後の夜まで通っていたのは、三人の典侍中、ひとり小宰相だけだった。 「……みかど」 更ける夜を、彼女は惜しむように....