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「供奉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

供奉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:芥川竜之介
ぶら下っているのである。 五十歳を越えた内供は、沙弥《しゃみ》の昔から、内道場供奉《ないどうじょうぐぶ》の職に陞《のぼ》った今日《こんにち》まで、内心では始終....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
波新八郎、尚左岸にあり奮戦していた。前述して置いた小笠原与八郎長忠は、他国の戦に供奉せしは、今度が初めての事なので目を驚かせる程の戦せんとて、黒坂備中守に馳合っ....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
参拝の為軍艦に召されて神戸に御着、京都にあらせられた。陸軍中将山県有朋は、陛下に供奉して西下して居たが、西南の急変を知るや、直ちに奏して東京大阪広島の各鎮台兵に....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
』に依ると、其の行列は二条富小路の内裏から、東寺の門まで絡繹として続いたとある。供奉の武将達も、或は河内に、或は|伯耆に、北条氏討滅の為にあらゆる苦悩を味った訳....
連環記」より 著者:幸田露伴
名利を悪んで、断岸絶壁の如くに身の取り置きをした。元亨釈書に、安和の上皇、勅して供奉と為す、佯狂垢汗して逃れ去る、と記しているが、憚りも無く馬鹿げた事をして、他....
鵞鳥」より 著者:幸田露伴
た。残念にも雄の鵞鳥の頸は熔金のまわりが悪くて断れていた。若崎は拝伏して泣いた。供奉諸官、及び学校諸員はもとより若崎のあの夜の心の叫びを知ろうようは無かった。 ....
ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
。或はもっと早く宝亀年中だという考証もある。そして長く向うに居た。長安醴泉寺僧内供奉翻経大徳として崇められたが、後、五台山に入って修道中、人のために殺されたとい....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
幸などの時に仮の御旅宿を宇治に設けたもうたことがあったのであろう。その時額田王は供奉し、後に当時を追懐して詠んだものと想像していい。額田王は、額田姫王と書紀にあ....
岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
いう立派な御殿で、玄宗は李白を引見した。 帝、食を賜い、羹を調し、詔あり翰林に供奉せしむ。――これがその時の光景であった。非常に優待されたことが、寸言の中に窺....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
はひびき、神名は流された。 私は姉と別の小舟に乗って、参詣人の乗客たちと一緒に供奉の船の行列の後ろからついて行った。私たちの舟にもやはり紅堤灯が吊してあった。....
夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
。ねえ法水さん、この夢殿は密室だったのですよ。密閉された室の中で、一体孔雀明王と供奉鳥以外に誰がいた事になりましょうかね」 密室、しかもその中で、大量の血が消....
なよたけ」より 著者:加藤道夫
あったら、必ず手紙をくれるんですよ。ああ、だいぶ遅くなってしまった。山科の里では供奉の者達がさぞや待ちかねていることだろう。では、文麻呂。さらばじゃ! 文麻呂 ....
間人考」より 著者:喜田貞吉
」の文字は旧事本紀天神本紀に初めて見えている。饒速日命の天降に随従した三十二人の供奉の人々の中に、天玉櫛彦命は間人連等祖とあるのがこれで、「間人」ここに「ハシビ....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
由緒書」には、 元僧侶にして、往古御遷都(奈良より京都への御遷都)の砌、南都より供奉、平安京へ移住し、数十代連綿として、日々禁中御内儀御口向へ参勤し、御殿先、御....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
なるがゆえに、よろしく「唱門」と書くべきものだと論じているのである。曰く、 寛印供奉の造り給頌文也と云云。 この文によると、文安(後花園天皇朝)の頃には声聞と....