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俊子
「俊子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
俊子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「家」より 著者:島崎藤村
さて雪子あまり長く引留め申し、おん許様には何角御不自由のことと御察し申しあげ候。
俊子様、延子様にも御苦労相掛け、まことに御気の毒とは存じ候えども、何分にも斯のお....
「現実に立って」より 著者:宮本百合子
燃えた一団の人々は明治十四年(一八八一年)自由党を結成した。有名な中島湘煙(岸田
俊子)が十九歳で政談演説を行い、婦人政治家として全国遊説をし、岡山に女子親睦会と....
「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」より 著者:宮本百合子
な作風を示した。「焙烙の刑」その他で、女性の自我を主張し、情熱を主張していた田村
俊子はその異色のある資質にかかわらず、多作と生活破綻から、アメリカへ去る前位であ....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
におつかわしになったことや、十六歳で見出された下田歌子《しもだうたこ》女史、岸田
俊子《きしだとしこ》(湘煙《しょうえん》)女史があり、女学の道を広めさせられた思....
「明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
ばやし》にすぎないとして、下田歌子《しもだうたこ》女史は明治初期の女学、また岸田
俊子《きしだとしこ》、景山英子《かげやまひでこ》は女子新運動史をも飾る美人だった....
「マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
突きあっているのはあまり狭量ではあるまいか。かつて女優養生所に入所した、作家田村
俊子さんは、貞奴を評して、子供っぽい可愛らしい、殊勝らしいところのある、初々《う....
「月明」より 著者:豊島与志雄
仕事の手元から眼を離さずに、尻上りの調子で、 「今日は。」 姉の後に続いていた
俊子が、これも海水帽の縁の中で、くすりと笑った。その拍子に、海水着一枚の背中の肉....
「或る男の手記」より 著者:豊島与志雄
不便だね。」 実際私は、会社の用で時折横須賀へ行って一泊してくることがあった。
俊子は変な顔付で――それも私の思いなしかも知れないが――私の方を見ていたが、やが....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
に進歩主義を採りぬ。 四 岸田女史|来《きた》る その歳《とし》有名なる岸田
俊子《きしだとしこ》女史(故中島信行氏夫人)漫遊し来《きた》りて、三日間わが郷《....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
全心全霊を打ち込まねば止まぬ性格と、それには周囲があまりに相違した。その中で長女
俊子が生れ、次いで長男安雄が生れた。するとまたその子供の教育が心配されて来る。良....
「田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
つながりを持つのか、中島|湘煙《しょうえん》女史(自由党の箱入娘とよばれた岸田|
俊子《としこ》)も、十七歳のとき宮中へ召され、下田《しもだ》歌子女史も、まだ平尾....
「平塚明子(らいてう)」より 著者:長谷川時雨
。見せかけだけでしか標準をさだめ得ない、世の中の軽薄さを思わせられます。 田村
俊子さんがお書《かき》になった日記の中で、読んだことがあります。みじかい文のなか....
「松井須磨子」より 著者:長谷川時雨
ではあるが立派な衣裳になった彼女は飾りけのないよい夫人《おくさん》であった。田村
俊子《たむらとしこ》さんが、 「何故《なぜ》挨拶《あいさつ》しないのよ。だまって....
「殺人迷路」より 著者:佐左木俊郎
」 「誰なんだ、その女は?」 たまらなくなって、二木検事は先を急いだ。 「浦部
俊子」 「浦部
俊子? あ、あの――馬鹿な。あの女性は君、死んでいるんだよ。君、君....
「殺人迷路」より 著者:甲賀三郎
見をした時と殆ど同時に、新聞記者村井は二木検事に、洋装の女が投身自殺を遂げた浦部
俊子の妹らしいと云う推測を告げていた事を、読者諸君は承知せられている筈だ。 以....