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俊才
「俊才〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
俊才の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦系図」より 著者:泉鏡花
しだ。親たちの目は曇りやしない。 次第々々に地位を高めようとするんだから、奇才
俊才、傑物は不可ん。そういうのは時々失敗を遣る。望む処は凡才で間違いの無いのが可....
「蠅男」より 著者:海野十三
ては、検事も署長も、大タジタジの体であった。なかにも村松検事は、塩田先生の門下の
俊才として知られていた。それで彼は、この上、先生の友人である鴨下ドクトルを警官た....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の作者は唐の張読であります。張は字を聖朋といい、年十九にして進士に登第したという
俊才で、官は尚書左丞にまで登りました。祖父の張薦も有名の人物で、張薦はかの『遊仙....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
一 御謙遜なるお言葉に痛み入ります。なおさらゆかしく存じます。 同行二 北嶺一の
俊才と聞こえたるあなた様、なんのおろそかがございましょう。 親鸞 北嶺南都で積ん....
「闘争」より 著者:小酒井不木
態の後に来る弛緩状態が目立って来ると考えるのだ。僕は嘗てこの見地のもとに、史上の
俊才の伝記を研究したことがある。果して多くの
俊才には、精神的活動期の中間に著しい....
「巌流島」より 著者:直木三十五
放流の富田一放、長谷川流の長谷川宗喜、無海流の無一坊海園、鐘捲流の鐘捲自斎などの
俊才が出たが中でも鐘捲自斎が傑《すぐ》れていたらしく、門人に伊藤一刀斎景久が出て....
「斗南先生」より 著者:中島敦
いう。六歳にして書を読み、十三歳にして漢詩漢文を能《よ》くしたというから儒学的な
俊才であったには違いない。にもかかわらず、一生、何らのまとまった仕事もせず、志を....
「光と風と夢」より 著者:中島敦
ながら、暗然たる気持で此の幸福そうな団欒《だんらん》を眺めていた。「此の華やかな
俊才の蝕《むしば》まれた肉体は、果して何時迄もつだろうか? 今幸福そうに見える此....
「惜別」より 著者:太宰治
た。これだけでも既に不思議な恩寵なのに、さらにまた、その本の跋に、この支那文学の
俊才が、かねてから私の下手な小説を好んで読まれていたらしい意外の事実が記されてあ....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
して、当代の音楽は彼には堪えがたかった。けれどもそうだとは告白し得ないで、年若い
俊才《しゅんさい》をすべて歓迎すると言っていた。実際のところ、古い模型の上にうち....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
「金は、いらん。後生は、よく弔うて上げる。もう、長い命でもござらぬぞ。あったら
俊才を、惜しいことしてのけるのう」
と、牧の顔を見ながら立上った。
「無礼な....
「魔都」より 著者:久生十蘭
だけは総監室の椅子にのッそりと掛けたまま、身動きしようともしない。警視庁切っての
俊才、検察ブレーン・トラストの第一人者、冷酷無情をもって知られる真名古こそ、こん....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
倚るようになった。それから河東君は同郷の先輩で文学に志しつつある人に正岡子規なる
俊才があって、彼は既に文通を試みつつあるという事を話したので、余も同君を介して一....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
停滞するようになってきたのである。シナでは文字を覚えなければならぬ、それがために
俊才は文字を覚えまたこれを使うのに非常に頭を労するので文明が自然停滞するようにな....
「文明教育論」より 著者:福沢諭吉
われて世を誤るべきのみ。もとより農民の婦女子、貧家の女子中、稀に有為《ゆうい》の
俊才を生じ、偶然にも大に社会を益したることなきにあらざれども、こは千百人中の一に....