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「俗書〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

俗書の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
二人の友」より 著者:森鴎外
本が Larousse や Britannica と違う所以《ゆえん》を論ずる。俗書が段々科学的の書に接近して来る風潮を論ずる。とうとう私はランプの附くまでいて....
高島異誌」より 著者:国枝史郎
れず、此儀如何にござりましょうか?」 「左様、名著ではござらぬの。取るにも足らぬ俗書でござる」 僧は言下に弁えたが、 「とは云え此書著名と見え、早く唐土にも渡....
相馬の仇討」より 著者:直木三十五
来を結んで敵討をするが、本当の話となるとそんな事をして仇討したのは極く稀である。俗書に伝えられているのはこれと「宮城野信夫の仇討」位のもので、行馬《こうば》の中....
傾城買虎之巻」より 著者:直木三十五
に就《つい》ての処分法が苛酷であったから、寺社奉行と相談の上改めた事よりも、講談俗書では矢張り、厳刑のままの方が名高い。 通仙仕方がないから又京都へ行く。ここ....
寛永武道鑑」より 著者:直木三十五
、小者ともで、合せて十一人と、藤堂家の公文書「累世記事」にも残っているし、その外俗書にも、同じであるが、一竜斎貞山(二代目)が、附人を三十六人にして、これが当っ....
現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
関と人的要素とをしか取り上げない。杉村楚人冠『新聞の話』(一九三〇年)――この通俗書はわが国に於ける統一的な新聞論として最も理論的意義を有つものだと考えられる―....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
物論全書』(すでに三十六巻を出す―その後続刊)の出版は唯一の纏った唯物論の高級通俗書の系列であるが、他に著しいものとして主としては白揚社を出版者とする哲学書の著....
鑢屑」より 著者:寺田寅彦
くないとは言われない。これは、注意していなければならないことである。 浅薄な通俗書籍雑誌の濫出、新聞紙上に時々現われるいかがわしいいわゆる「世界的大発見」の紹....
アインシュタインの教育観」より 著者:寺田寅彦
フスキー著『アインシュタイン』という書物を送ってくれた。「停車場などで売っている俗書だが、退屈しのぎに……」と断ってよこしてくれたのである。 欧米における昨今....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
ていることもあるから、どうも後味がよろしくない。 何とか軍記というような後世の俗書などに何々院何々大姉がちゃんと生きた人間の名前で恋を語らっていることもあるか....
書について」より 著者:高村光太郎
さから来るのである。そういう書を書くものの書などを見ると、ばかばかしい程無神経な俗書であるのが常である。最も高雅なものから最も低俗なものが生れるのは、仏の側に生....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
ったのが証される。 鴎外の博覧強記は誰も知らぬものはないが、学術書だろうが、通俗書だろうが、手当り任せに極めて多方面に渉って集めもし読みもした。或る時尋ねると....
現代茶人批判」より 著者:北大路魯山人
とく無理をせぬ、品の良い雅致と風懐を具えた見識あるものであるかどうか。少なくとも俗書の域を脱しているかどうか。卑見ながら私の目に映じただけのものを想起しても、元....
茶美生活」より 著者:北大路魯山人
もだいたいわかり道具にも一通りは眼利きである。望まれれば、茶人らしく箱書ぐらいは俗書を脱して楽しみとなる字が書けるまでに至ってこそ当然なりとなって来るではないか....
良寛様の書」より 著者:北大路魯山人
までに見た懐素というものは、あえて感心するほどのものではなく、むしろあの時代では俗書に属する方ではないかと考えている。仮に良寛様の書風に相似たところがあるとして....