保田与重郎[語句情報] » 保田与重郎

「保田与重郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

保田与重郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
もの思う葦」より 著者:太宰治
の刹那に、必ず、おのれの面上に汚き石を投ずる。はっしと投ずる。 さきごろ、友人保田与重郎の文章の中から、芭蕉の佳き一句を見いだした。「朝がほや昼は鎖おろす門の....
碧眼托鉢」より 著者:太宰治
トの、文学論集をわざと骨折って読み、伊東静雄の詩集、「わがひとに与ふる哀歌。」を保田与重郎が送ってくれ、わがひととは、私のことだときめて再読、そのほか、ダヴィン....
文学上の復古的提唱に対して」より 著者:宮本百合子
雄氏等が万葉の精神などということは当時なかったのである。 雑誌『コギト』による保田与重郎氏は近頃、以上の人々とは又違った陣立てを考案している。その陣の構えは何....
近頃の話題」より 著者:宮本百合子
掘り下げる」組織としてあらわれた。会員の顔ぶれとして、林房雄、浅野晃、北原白秋、保田与重郎、中河与一、倉田百三等、この一、二年来の新日本主義的提唱とともに既に顕....
矛盾の一形態としての諸文化組織」より 著者:宮本百合子
われる竹内栖鳳の五匹の蛙が五千円というような絵や「新日本文化の会」で中河与一氏、保田与重郎氏などによってロマンティック狂信的に讚えられる万葉精神と、私たち一般人....
今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
の春創刊された『文学界』はこれらの夥しい合言葉の噴泉の如き観を呈し、河上、小林、保田与重郎の諸氏の歴史の方向からはなれた文学の「人間化」「良心」「真理」「真実」....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
うことは、記憶されるべき事実であった。 同時に、国内の挙国的思想統制と並んで、保田与重郎、亀井勝一郎、檀一雄等の日本浪漫派の人々が、林房雄、中河与一、等と共に....
婦人作家」より 著者:宮本百合子
だが、一方では和辻哲郎が学識を傾けて日本の特殊性を主張するために「風土」を書き、保田与重郎、亀井勝一郎らが日本浪漫派によって神話時代、奈良朝、藤原時代の日本古代....
戦争はわたしたちからすべてを奪う」より 著者:宮本百合子
従順になってゆく方向でうけいれられ、その社会心理は、日本ローマン派の亀井勝一郎、保田与重郎などをいつしか日本民族の優秀と絶対主義を宣揚する「古典」崇拝に導いて、....
あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」より 著者:宮本百合子
族生活の存在のありかたをはっきり区別しようとして、横光利一をはじめ、亀井勝一郎、保田与重郎、中河与一等の「日本的なもの」へのたたかいを行っている。 一九三三年....
年譜」より 著者:宮本百合子
ブ」も国際的連帯をたって「日本ペンクラブ」となり、日本浪漫派の人々は亀井勝一郎、保田与重郎、中河与一を先頭として「日本精神」の謳歌によって文飾されたファシズム文....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
二つの矛盾が作品のすべてに実に顕著に顕《あらわ》れていること、従って、林氏亀井氏保田与重郎氏の云う日本ロマン派がそのうちに内包し得るものは何であるかということな....
歴史と文学」より 著者:宮本百合子
に今日につづく多くの歴史的要因がこめられていたのであるし、更に日本浪曼派の評論家保田与重郎の文学的出生には前の二人の人たちを送り出した歴史の性格の数歩前進した或....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
》して過ぎる人生の現実に芸術のインスピレーションを感ぜぬものと見える。小林秀雄、保田与重郎、等の日本ロマンチストたち。私はこの次からもっと心持のよい、いいもの私....
文芸評論の方法について」より 著者:戸坂潤
々の話を初めからお終いまでつき纏うのである。 その創作的な評論というのが、特に保田与重郎の夫のような詠嘆文を意味するなら、簡単に無視していい問題だが、文芸評論....