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「保科〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

保科の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
し手前の刻限でした。と申しますと少しく異様に聞かれますが、東北路は山形二十万石の保科《ほしな》侯に、それから仙台六十四郡の主《あるじ》の伊達《だて》中将、中仙道....
島原の乱」より 著者:菊池寛
忠勝、老中松平信綱、阿部忠秋、土井利勝等の重臣、将軍家光の御前で評定して、会津侯保科|正之を征討使たらしめんと議した。家光は東国の辺防を寛うすべからずと云って許....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
、山本勘助、初鹿源五郎、跡部大炊介、今沢石見、小幡尾張守、下条民部、栗原左衛門、保科弾正、一条右衛門。尚館の東北には横田備中守の邸がありまた館の北側には武田逍遥....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
内にて一の臆病者也、仔細は下々《しもじも》にて童子《わらべこ》どものざれごとに、保科《ほしな》弾正|鑓《やり》弾正、高坂弾正|逃《にげ》弾正と申しならはすげに候....
伸子」より 著者:宮本百合子
たださえ耄碌《もうろく》していたのがなおさら耄碌したごんだ。お静には死なれるし、保科は死ぬし……何しておらのような在り甲斐なしがいつまでも死なないかと思う」 ....
父の手帳」より 著者:宮本百合子
林雅之助氏と蓮台寺温泉に泊ったことが書いてあり、七日にはその休暇旅行のつづきで、保科氏、宮島氏と湯河原のあたりを散歩したことがあり。このときの三人の写真が、没後....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の万国博覧会を視察に出かけるような世の中になりました。その随行としては杉浦愛蔵、保科《ほしな》俊太郎、渋沢篤太夫、高松凌雲、箕作《みづくり》貞一郎、山内元三郎ら....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
貌を以て信玄に愛せられたところを以て見れば、また非常な美男子であって、その後、「保科《ほしな》弾正|槍弾正《やりだんじょう》、高坂弾正|逃弾正《にげだんじょう》....
旅だち」より 著者:豊島与志雄
したから、黙って帰りました。あの人も黙っていました……。 その時の、あの人は、保科哲夫という名前でした。それを今まで忘れずにいたことが、中山敏子にはふしぎに思....
鵞湖仙人」より 著者:国枝史郎
ました。第一が他ならぬご貴殿でござる。第二が山鹿素行殿、第三が熊沢蕃山殿、第四が保科正之侯。……で、湖畔で貴殿に会いその人物を験めそうものと、例の立泳ぎお目にか....
私本太平記」より 著者:吉川英治
訪の入道昭雲が主となって、高時のわすれがたみ北条時行(亀寿丸)をいただき、滋野、保科、四ノ宮などの北条遺臣の族党をかたらって起ったものとわかってきた。 すると....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
。 私もまだ一見していないが、その屏風は以前から著名なものであった。M家の祖|保科正之が、武蔵の人となりに敬愛して、肥後の細川家へ委嘱し、幾幅かの画を乞いうけ....