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「信濃路〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

信濃路の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夏秋表」より 著者:立原道造
夏秋表 立原道造 その一 私はふたつのさびしい虫のいのちと交感を持った。信濃路に夏の訪れのあわただしい日、私は先生の山荘の庭に先生とならんで季節の会話の....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の、人さはに御供つかへて、東の京をたたし、なまよみの甲斐の国、山梨の県を過ぎて、信濃路に巡りいでまし、諏訪のうみを見渡したまひ、松本の深志の里に、大御輿めぐらし....
怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
て見ましたけれども更に分らず、空しく其の年も果て、翌年に相成って孝助は越後路から信濃路へかけ、美濃路へかゝり探しましたが一向に分らず、早や主人の年囘にも当る事ゆ....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
ろうと段々噂が高くなり、薄気味が悪いから、川口を去って越後から倉下道を山越をして信濃路へ掛って、葉広山の根方を通り掛ると村雨に逢い、少しの間|雨止と三峰堂へ這入....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
重りのする背の家を揺ぶってみました。家のまわりから雨の雫が落ちかかりました。 「信濃路の小さな田舎でだったよ。おれはその頃将監さんに仕込まれた咽喉でもって旅芸人....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
この七兵衛が兜《かぶと》を脱いでしまいます」 「しかし、間道から身延へ出ないで、信濃路へ紛《まぎ》れ込むようなことはなかろうか」 「どうしてどうして。あれごらん....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、必ずあの子に逢えたのです。それにもかかわらず、私は全くそれと別な方向を取って、信濃路へ分け入りました。信濃路も、この奥深い、日本の国の天井といわれるところまで....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
を見廻して、頭上にけぶる、信濃なる浅間ヶ岳に立つ煙をながめ、 「ははあ、いよいよ信濃路かな。一茶の句に曰《いわ》く、信濃路や山が荷になる暑さかな……ところが今は....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
のようだけれども、もうその事が結着してから、少なくとも今年は三年目になっている。信濃路から侵入して来た耕雲斎の手兵が、大垣の兵に遮《さえぎ》られて北国へ転じ、つ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の噂は、破牢者のうちの無宿者の一隊は、どうやら山を越えて秩父の方へ逃げたものと、信濃路へ向ったものとがあるらしいということのほかに、その主謀者と見做《みな》され....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
二年の末つ方、またも故郷を立ち出でて、再び故郷へは帰らざる旅に出た。 その後、信濃路を経て、越後の国に入る。信心深いこの国の人々は、上人の足を二カ年半も止めさ....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
、稲扱などをしながら大勢して歌うこともまた可能である。 ○信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな履著け我が夫 〔巻十四・三三九九〕 東歌 信....
挿頭花」より 著者:津村信夫
父か曾祖父にあたる人が造園したものだと云はれてゐる。叡山から来た天台の僧で、遠く信濃路の山に来ても、都のことが忘れかねたものらしい、風雪の跡はあつても、依然とし....
酒徒漂泊」より 著者:佐藤垢石
一 昨年の霜月のなかばごろ、私はひさしぶりに碓氷峠を越えて、信濃路の方へ旅したのである。山国の晩秋は、美しかった。 麻生豊、正木不如丘の二....
木曽の怪物」より 著者:岡本綺堂
逗留していた。東京では新暦の雛の節句、梅も大方は散尽くした頃であるが、名にし負う信濃路は二月の末から降つづく大雪で宿屋より外へは一歩も踏出されぬ位、日々炉を囲ん....