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「信貴山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

信貴山の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
梓川の上流」より 著者:小島烏水
くと、肌の温みに氷河の衣がいつか釈《と》けている、また一瞬間、葛城、金剛、生駒、信貴山などいう大和河内あたりの同胞《はらから》が、人間に早く知られる、汚される、....
油絵新技法」より 著者:小出楢重
清盛であり、頼朝である。美人は多く徳川期から招待されたるマネキン嬢である。風景は信貴山縁起、信実の風景であり、大雅堂であり、点景は仙人である。たまたまピアノ弾く....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
身につけるものではないが、例えばマイヨオルの彫刻はせいぜい銅か土の固りであり、「信貴山縁起」は一巻の長い紙であり、名工の茶匙は一片の竹であるに過ぎない。要はつま....
雑記(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
のことである。蘇莫者の事は六波羅密経に詳しく書いてある。聖徳太子が四十三歳の時に信貴山で洞簫を吹いていたら、山神が感に堪えなくなって出現して舞うた、その姿によっ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
千虎先生が調べました。先生はこの調査のためにわざわざ河内国へ出張し、観心寺および信貴山、金剛寺その他楠公に関係ある所へ行って甲冑を調べたのです。また加納夏雄先生....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
ょうな、それから、薬師寺の吉祥天、さよう、あれも代表的のものですからな、それから信貴山縁起、ようがす、それから、それだけですか、なにおよろしければいくらでも出し....
私本太平記」より 著者:吉川英治
捕われて、六波羅監禁をうけ、その監視を破って宮の吉野、十津川の挙兵に奔り、いまは信貴山にいて、大塔軍随一の、股肱の将と評判のある叡山の巨頭である。さっそく高氏が....
私本太平記」より 著者:吉川英治
当然、率先して、父君のこの還幸をお迎えに出ていなければならないはずの大塔ノ宮が、信貴山の毘沙門堂から降りても来ないことだった。 平和は回った。市はひらかれ、諸....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
し、それ以来|空俵となったというなどはなお大ウソであるが、この話よりも古くできた信貴山の縁起に、大和の或る長者の米庫の米俵が、空を飛んで信貴の山へ行く絵が出てい....